テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

サクマ&ピース Season1〔1〕 勿来編

番組ID
216742
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2021年10月17日(日)15:55~16:25
時間(分)
26
ジャンル
groups
芸能・バラエティー
放送局
福島中央テレビ(FCT)
製作者
福島中央テレビ(FCT)
制作社
福島中央テレビ(FCT)
出演者
スタッフ
カメラ:冠木孝之、照明:岡部一浩、音声:發田雄二、音響効果:木村俊之、MA:道音俊夫、CG:金子瞳、構成:福田卓也、総合演出:佐久間宣行、ディレクター:平出篤史、ディレクター:鈴木洋憲、ディレクター:円谷浩一、広報:佐藤昭徳、広報:柳沼香林、プロデューサー:堀田泰裕、チーフプロデューサー:菅澤大一郎、協力:小松理虔
概要
共に福島県いわき市出身の元・テレビ東京プロデューサーの佐久間宣行さんとアルコ&ピースの平子祐希さんが、地元いわき市だけを巡って福島を盛り上げる番組。福島県には全国に誇れる人や物があるものの、引っ込み思案で謙虚な県民性によるものか、全国に知られていない。そこで、東京で一流の世界を見てきた二人に今のリアルな福島を見てもらい、すごいものは素直にすごいと認めてもらうことで、県民のアイデンティティを高めるきっかけを作っていく。一方、地方ならではの完成度不足のものには、“愛ある地元いじり”でツッコミを入れつつ、より良くなるようにプロデュースしていく。(シーズン1/2021年10月17日~11月7日放送、全4回)◆シーズン1の第1回は勿来編。茨城県との県境に位置する勿来地区で、二人には馴染み深い「地元スーパー」、驚愕の悩みを抱える「世界一の技を持つ達人」、平子さんの母校の「恩師の悩み」をプロデュースした。

同じ年代の公開番組

アイヌ アナクネ ピリカ アイヌって、かっこいい

関根摩耶さん(22歳)は、アイヌの文化が色濃く残る平取町二風谷出身。幼いころから「アイヌ語を話せる子ども」と周囲から期待されてきた。慶應大学に通う彼女は現在、SNSでオリジナルのアイヌ語講座を発信している。摩耶さんにアイヌ語を教えたのは父の健司さん。彼はアイヌとして初めて国会議員となった萱野茂さんからアイヌ語を学んだという。萱野さんから健司さん、そして摩耶さんへとアイヌ語は受け継がれたのだ。そんな彼女は中学時代、差別を恐れ自身がアイヌであることを隠していた。しかし、高校生の時に出会ったニュージーランドの先住民族から「アイヌ民族に誇りを持つべきだ」と教わった。彼女はいま、失われつつある言語を残そうとアイヌ文化の魅力を発信し続けている。アイヌ語を残すため新たな活動を始めた人もいる。北見工大で言語の研究をしているポーランド人のミハウ・プタシンスキさん。アイヌの人たちの音声をAIで解析し翻訳するシステムを開発した。自国の言葉を話せなくなった歴史を持つポーランド人だからこそ、言語を守りたい思いが強いという。ユネスコは2009年にアイヌ語が「消滅の危機にある」と指摘している。アイヌ語を後の世代に継承しようという2人の活動を通して先住民族のアイヌ語をどう残していけばよいのか問いかける。※タイトル「アナクネ ピリカ」の「ク」と「リ」は正しくは小文字


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
SBSスペシャル おひさま家族 ~りんくん一家の17年~

もし、生まれた時から「生きる時間」が決まっているとしたら、人は、家族はどのような人生を歩むのだろうか。色素性乾皮症(A群)は、太陽の紫外線を浴びると皮膚に火傷のような症状が出て、やがて皮膚癌を発症する病だ。さらに、神経障害も伴い30歳を迎える頃にはその生涯を終えると言われている。静岡県富士市に住む清麟太郎くん(18歳)は、生後10ヶ月の時にこの病気の宣告を受けた。10歳で歩行困難、15歳で起立不能、16歳で車椅子使用が平均的だという機能低下の経過を、りん君はほぼ時間通りに刻んでいる。彼にとって「生きる」事とは、死に向かって確実なスケジュールを辿ることでしかない。家族は、りん君の人生をできる限り豊かなものにしようと努力を続けてきた。静かに寄り添う祖父。孫の生きた証を残そうと、絵本を作った祖母。将来を見据え、介護の仕事に就いた母。他人に迷惑を掛けないよう、自分と同じ日に天寿を全うしてほしいと心密かに思う父。そして兄妹は。麟太郎君と家族の17年の歩みから、家族のあり様と生きる事とは何かを問い掛ける。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
mrt特別番組 忘れられた画家 塩月桃甫

今からおよそ100年前、日本が統治していた台湾に渡り、近代美術の礎を築いた宮崎県出身の画家「塩月桃甫」。塩月は台湾の先住民を愛し、大胆なタッチと色使いで描き続け、台湾で画家として活躍する一方、戦前の台湾に初めて西洋美術を普及させるなど、台湾美術界に多大なる貢献をした。台湾では今も塩月を尊敬する画家や美術研究者が多数存在し、その評価も見直されている。しかし、日本では塩月の名を知る人はほとんどいない。宮崎出身の画家、小松孝英は、9年前から台湾の美術界で塩月の名前をよく聞くことに気づき、関心を持っていたところ、ある時、骨董屋で塩月桃甫の描いた油絵と出会ったことで、塩月がどんな画家だったのか調べ始めた。なぜ、台湾美術界の重鎮と言われた画家が、日本で知られざる画家となってしまったのか。同じ故郷宮崎の画家として、興味を抱いた小松は彼のドキュメンタリー映画を製作することを決意。わずかに残る当時の塩月を知る教え子たちや親族を自ら探し出し、台湾と日本各地で撮影を行った。戦前戦後の激動の時代に生きた画家の姿を追う。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組