テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

プロフェッショナル 仕事の流儀 遠くを見ない、目の前を生きる 噺家 春風亭一之輔

番組ID
215610
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2017年04月10日(月)22:25~23:14
時間(分)
50
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
groups
芸能・バラエティー
放送局
NHK
製作者
NHK
制作社
NHK
出演者
スタッフ
主題歌:kokua、協力:馬場憲一(撮影)、資料:武藤奈緒美(提供)、撮影:森屋進、音声:池田茂、音声:草地康明、映像技術:高橋智洋、映像デザイン:服部竜馬、音響効果:柏倉梓、編集:大崎義則、ディレクター:築山卓観、制作統括:池田由紀
概要
さまざまな分野の第一線で活躍している一流のプロフェッショナルの「仕事」を徹底的に掘り下げるドキュメンタリー番組。(2006年1月10日放送開始)◆第320回「遠くを見ない、目の前を生きる 噺家 春風亭一之輔」。現在の落語ブームをけん引する気鋭の噺家、春風亭一之輔(39歳)。人間国宝・柳家小三治が「久々の本物」と評し、21人抜きで真打ちとなった。なぜこの男の落語は面白いのか。喫茶店やカラオケ店でのヒミツの稽古に密着した。一之輔の強みは、古典を守りながら現代的な笑いも取り入れ、大胆に自分の色を加えていくことである。どんなことも笑いに変える強烈な話芸を持つ一之輔だが、口癖は「やりたくない」「帰りたい」。無愛想でへそ曲がりな意外な素顔を見せる。一之輔は「自分に自信が無い」と語るが、だからこそ目の前の一席一席に精一杯挑み続けている。◆解説副音声あり

同じ年代の公開番組

NNNドキュメント’17 ギャンブル依存 巣食う闇を断ち切れるか

奈良にある民間の回復施設「セレニティパークジャパン」。年代も職業も幅広い約30人の依存症者が金銭や生活に制限のある寮生活を送り、心理プログラムを受けながら社会復帰を目指している。パチンコ、パチスロ、競馬、闇カジノ等に依存し、犯罪に手を染めた者も少なくない。2016年2月に入所した原さん(43歳)。高校卒業後、東京都交通局に就職したが、パチンコ好きが趣味の枠を超え、借金を重ね、恐喝で逮捕。職を失い22歳の時に自己破産した。それでもやめられず父親が他界した時もパチンコを優先した。再び借金は400万まで膨らみ、依存症と診断された。入所して1年が過ぎた原さんは20年以上苦しめてきた母への罪悪感が募っていた。関東に住む母の下へ赴き初めて謝罪した。しかしその帰り、音と光に誘われ一瞬だがパチンコ店に入ってしまい、「打ちたい」と呟いた。再発の不安は常につきまとう。政府はカジノ導入を機に依存症対策を行う姿勢を見せているがどれだけ実効性のある策を打てるかは不透明だ。誰もが陥る可能性があり、一度陥れば中々抜け出せず、家族や周囲を否が応なしに巻き込んでいくギャンブル依存症の現実を伝える。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
大河ドラマ おんな城主直虎 総集編〔1〕 これが次郎の生きる道

戦国時代に男の名で家督を継いだ「おんな城主」がいた。遠江・井伊家の当主、井伊直虎は、巨大な勢力が虎視眈々と領地をねらう中、資源も武力も乏しい土地で、仲間と力を合わせて国を治め、その後の発展の礎を築いた。自ら運命を切り開き、戦国を生き抜いた女の激動の生涯を描く。大河ドラマ第56作(2017年1月8日~12月17日放送、全50回)の総集編(全4回)。作:森下佳子。◆総集編・第1回「これが次郎の生きる道」。おとわ(新井美羽)は、井伊家当主の父・直盛(杉本哲太)と母・千賀(財前直見)、そして鶴丸(小林颯)と亀之丞(藤本哉汰)という2人の幼なじみとともに幸せな日々を過ごしていた。ある日、おとわに亀之丞との縁談話が舞い込むが、その直後、亀之丞の父・直満(宇梶剛士)が謀反の疑いで討たれてしまい、亀之丞は信州に身を隠すことになる。その後、おとわは井伊家のために出家し、次郎法師と名を変える。そして10年後、遂に戻ってきた亀之丞(三浦春馬)は次郎と小野政次と名を変えた鶴丸(高橋一生)と再会。亀之丞は次郎に還俗し、一緒になろうと伝える。◆解説副音声あり


swords時代劇tvテレビ番組
YBSふるさとスペシャル 福祉のこころ ~障害者療育に捧げた60年~

甲州市勝沼町在住の田ヶ谷雅夫さん(取材当時85歳)は、戦後60年間知的障害者の福祉一筋に取り組んできた。大学の夜間部で発達心理学を学んだ後、厚生省の知的障害児入所施設に勤務。主任指導員として、戦災孤児でさらに知的障害を持つ子どもたちと向き合う中で、入所児童の死に立ち会い、この仕事に生涯を捧げる覚悟を決めた。4年後、埼玉県に日本初の盲重複障害児の施設・国立秩父学園が開校され、指導員として招かれる。ここでの経験をもとに田ヶ谷さんが執筆した「盲精薄児の指導」は、盲重複障害児の指導書として広く用いられた。その後、山梨県にできた県立社会福祉村内の育精福祉センターの副所長に就任し、10年間尽力したが、大規模コロニーでの支援に限界を感じて退職。退職金をもとに入所型小規模障害者支援施設を開設した。やがて、障害者を社会から隔離するのではなく、地域と関わらせ自活させることが何より大切と考えるようになり、平成5年(1993)には、今では当たり前となった通所型の支援施設を開設した。戦後の障害者福祉の歴史と共に歩み、常に先進的な障害者療育に人生を捧げてきた田ヶ谷雅夫さんの足跡をたどる。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.