テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

ドラマスペシャル 遺恨あり 明治十三年 最後の仇討

番組ID
206042
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2011年02月26日(土)21:00~23:21
時間(分)
120
ジャンル
recent_actorsドラマswords時代劇
放送局
テレビ朝日(EX)
製作者
テレビ朝日(EX)
制作社
テレビ朝日(EX)、ホリプロ
出演者
スタッフ
原作:吉村昭、脚本:後藤法子、脚本:源孝志、音楽:溝口肇、撮影:朝倉義人、撮影助手:茂野隆之、撮影助手:和久田剛史、撮影助手:恵藤学、VE:木子尚久、照明:沢田敏夫、録音:四方裕幸、編集:小泉圭司、EED:横山良一、CG:奥田圭一、CG:相川はじめ、MA:湯井浩司、音響効果:佐古伸一、営業:城戸綱介(編集)、美術:松宮敏之、装置:柴田優、衣装:鈴木澄子、化粧:中村清数(美粧)、結髪:山田真佐子、監督補:柴崎弘記、助監督:小笠原佳文、助監督:宇喜田尚、助監督:加藤卓哉、記録:古保美友紀、演技事務:岡原伸幸、進行:尾崎隆夫(主任)、進行:宇都英生、進行:坪倉弘忠、擬斗:清家三彦、指導:峰蘭太郎(所作)、指導:まつむら眞弓(所作)、ことば指導:藤吉みか(方言)、編成:山川秀樹、編成:池田佐和子、営業:石田要、営業:北澤亜紀、コンテンツビジネス:新井麻実、コンテンツビジネス:辰口孝志、宣伝:豊島晶子、宣伝:西尾浩太郎、宣伝:吉原智美、スチール:入江信隆、プロデューサー補:上田直彦、プロデューサー補:石田麻衣、ラインプロデューサー:廣田成人、チーフプロデューサー:田中芳之、チーフプロデューサー:菅井敦、プロデューサー:西勇哉、プロデューサー:梶野祐司、プロデューサー:槙哲也、監督:源孝志
概要
明治13年(1880)に起きた最後の仇討とされる「臼井六郎仇討事件」を基に、人間の誇りと愛を描くドラマ。原作:吉村昭、脚本:後藤法子、源孝志。◆江戸城無血開城から間もない慶応4年、九州の小藩・秋月藩の執政・臼井亘理(豊原功補)と妻の清(濱田万葉)が同藩の過激攘夷派の藩士に殺害された。開国派を率いる亘理と対立する攘夷派の国家老・吉田悟助(石橋蓮司)がそそのかしたのだった。亘理の息子・六郎(桑代貴明)は両親の死にただ茫然とするしかなかった。開国派の藩士たちは仇討を願い出るが、吉田は事件を闇に葬る。2年後、16歳となった六郎(藤原竜也)は、臼井家に仕えていた下女・なか(松下奈緒)とともに、父を殺したのが一瀬直久(小澤征悦)、母を殺したのが萩谷伝之進(岡田浩暉)であることを調べ上げていた。周囲は仇討を諦めて東京に出て行くが、六郎は独り仇討のため、剣の腕を磨き続けていた。ある日、一瀬が上京すると聞いて仇討を試みるが、一瀬には隙がなかった。翌年、武士の美徳とされてきた仇討が、法律で禁止される。六郎は一瀬を追って上京し、剣術家・山岡鉄舟に弟子入りして仇討を狙い続けていた。そしてついに宿願の時を迎える。六郎は殺人の罪で捕らえられ、判事・中江正嗣(吉岡秀隆)の取り調べを受けるが、世間では六郎の仇討が英雄視されていた。

同じ年代の公開番組

VOICEスペシャル 山津波に飲まれた村 紀伊半島・集中豪雨

2011年9月上旬、紀伊半島に集中豪雨をもたらした台風12号。奈良県と和歌山県の山間部を中心に、死者・行方不明者あわせて100人近くを出す、平成では最悪クラスの台風被害となった。集中豪雨から1か月、“緊急VOICEスペシャル”として、奈良・十津川村から生放送で伝える。◆なぜここまで被害が拡大したのか。20人以上の死者を出した和歌山県那智勝浦町の人々は、かつてない規模の土石流「山津波」が押し寄せた、と証言する。その後、紀伊半島には土砂が堆積して出来る「土砂ダム」があちこちに造られ、そのうち5つは決壊の恐れがあるとして、国土交通省が厳重な監視を続けている。◆奈良県十津川村は120年以上前の明治22年、今回と同じく「山津波」に飲まれた。168人の命が奪われ、北海道への集団移住を余儀なくされた。道路網が寸断され多数の集落が孤立する中、支え合って地元にとどまり続ける人たち。村の再生に向けた懸命の復旧作業が続く。◆台風上陸から1ヶ月。山津波はどのように人々を飲み込んだのか。そして、土砂ダムの脅威を解消する手立てはあるのか。番組では住民の証言をもとに、山津波発生のメカニズムに迫り、また今も土砂ダム処理が続く東北地方の現場を緊急取材。十津川村では孤立したある集落にカメラが入り、支えあってたくましく生きる村人たちの姿を追い、村の再生に何が必要なのかを探る。


cinematic_blurドキュメンタリーondemand_video報道・時事tvテレビ番組
D!アンビシャス 帯広児童劇団 舞台で育む親子の絆

帯広児童劇団の演出家・石田昌志さん63歳。帯広で40年以上アマチュア劇団の舞台演出を手掛けてきた。そして帯広市の依頼を受け、1988年から子どもたちに演技指導をしている。◆帯広児童劇団は25回目となる公演に向けて稽古に励んでいた。劇団員は小学2年生から高校2年生までの男女25人。彼らは特別なオーディションで選ばれた子たちではなく、ダンスも発声方法も全てこの劇団で基礎から学んでいる。◆帯広児童劇団に入るのには、ひとつだけ条件がある。それは親もスタッフとして関わること。舞台の衣装作りをはじめ、お母さんたちは重要な役割りを担う。劇団の最大の目的は、舞台を通して行う「子育て」だ。石田さんは信念を持って子どもと向き合う。稽古は厳しく、そして最後まであきらめない。◆500人が入る帯広市民文化ホールは満席となった。舞台に立つ子どもと、裏方スタッフとして支える親たち。石田さんが帯広児童劇団で目指しているのは、子どもが舞台を成功させること、そして親が家庭とは違う我が子を見てその可能性に気付くことだ。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
いっしょに歩こう!ふくしま 私たちの生きる道 ~明日への決断~

大海原が輝き、豊かな自然が息づく大地が誇りだった福島県。2011年3月11日、東日本大震災。地震・津波による福島県の死者・行方不明者は2千人、原発事故による避難者は12万人。家族はバラバラに引き裂かれ、ふるさとは姿を変えた。いまだ将来の青写真が見えないフクシマで、人々は日々迷い苦しみながらも、前へ進むために必死で生きている。◆「見つからない妻への誓い 海に生きる漁師の涙と夢」。津波で450人以上の犠牲者が出た相馬市で、今も最愛の妻を探している漁師がいる。地震がおさまった直後、玄関で会話したのを最後に妻は自宅と共に姿を消した。◆「ガレキの町 ゼロからの挑戦 未来に続くふるさとへ」。津波で沿岸部が壊滅した新地町。109もの命と500を超える家屋が津波に奪われた。自宅が流されてしまった夫婦は避難所を出て、仮設住宅での暮らしが始まった。町民による復興計画案作りが話し合われている。◆「ふるさとに帰れる日まで… 原発事故 避難家族の願い」。南相馬市原町区、緊急時避難準備区域に住む4世代9人家族。子どもたちは自宅を離れて北塩原村へと避難し、家族は引き裂かれて暮らす。祖父は孫たちが帰ってくる日のために、毎日自宅を除染している。◆「ふるさとは警戒区域 伝統をつなぐ男たちの願い」。相馬野馬追で20年以上も法螺貝を吹く大役を務めてきた男性。そのふるさとは原発から半径20キロ圏内の警戒区域、立ち入ることはできない。ふるさとの伝統をつなごうと、この夏は避難先の喜多方市から野馬追に参加する。


cinematic_blurドキュメンタリーondemand_video報道・時事tvテレビ番組