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テレビ番組

ytvドキュメント 阪神・淡路大震災25年 死ぬまで生きてやろうじゃないか ―神戸からの音がえし―

番組ID
215827
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放送日時
2020年05月25日(月)02:02~03:02
時間(分)
47
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
music_note
音楽
放送局
読売テレビ放送/讀賣テレビ放送(YTV)
製作者
読売テレビ放送/讀賣テレビ放送(YTV)
制作社
読売テレビ放送/讀賣テレビ放送(YTV)
出演者
ナレーション:横須賀ゆきの
スタッフ
撮影:山崎浩司、撮影:木谷公久、撮影:横田凌、撮影:林裕介、撮影:中矢寛規、編集:浅田邦裕、EED:中澤丈、音響効果:久保秀夫、MA:久保秀夫、取材:松本侑子、取材:吉岡沙奈英、ディレクター:吉田陽、プロデューサー:吉川秀和、チーフプロデューサー:堀川雅子
概要
2019年4月4日、1人の男性が末期がんとの壮絶な闘病の末に39年の生涯を終えた。その男性の名前は、松原裕さん。ライブハウス経営と音楽プロデューサーを続けながら、神戸でチャリティフェスティバル「カミングコウベ」を開催してきた。毎年人気アーティストが100組近く集結し、入場無料とする代わりに募金を呼び掛けるなど、東北や熊本など他の被災地への支援を精力的に行っている。松原さんは中学生の時に神戸市で被災し、何もできなかった後悔の念から10年後の2005年にイベントを立ち上げ、松原さんの考えや熱意に共感するアーティストや神戸の企業によってイベント規模は年々大きくなっていった。しかし、2016年松原さんにステージ4の腎臓がんが見つかり、余命2年を告げられる。2児を育てるシングルファーザーでもある松原さんにとってあまりにも厳しい現実だが、決して諦めず、自らの病と闘い続けることを決意する。あらゆる投薬治療を試し、日に日に激しくなる咳にも耐え、震災の語り部の活動を続け、自らの考えを息子たちに継承しながら2017、18年もカミングコウベを成功に導く。15周年となる2019年のイベント開催を見たいと願った松原さんだったが、開催まで残り1か月近くとなった4月に容態が急変し、家族や多くの仲間たちに見守られる中、息を引き取った。「キッカケは何でもいい、若い世代が自発的に震災・チャリティについて考える場にしたい」と語っていた松原さん。その遺志はどのような広がりを見せたのか。震災への支援の在り方と世代継承を伝える。

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