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テレビ番組

ヒロシマ大衆演劇の父 ~78歳 名物支配人の夢舞台~

番組ID
212741
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放送日時
2011年03月26日(土)14:00~14:55
時間(分)
47
ジャンル
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ドキュメンタリー
放送局
広島テレビ放送(HTV)
製作者
広島テレビ放送(HTV)
制作社
広島テレビ放送(HTV)
出演者
ナレーター:藤村直己
スタッフ
撮影:井藤良治、撮影:鉄森利実、ミキサー:藤川真治、編集:道閑慎一、美術:中村真理亜、ディレクター:大谷泰則、プロデューサー:増田琢二
概要
広島市内にある大衆演劇場の支配人の大衆演劇への思いに迫るドキュメンタリー。◆広島市にある大衆演劇の芝居小屋・清水劇場。開館以来、支配人を務める高田博さん(78歳)は香川県の小豆島出身。父親が経営する劇場を病気がちだった父親に代わって引き継いだが、経営が傾き倒産させてしまう。しかし、50歳の時に清水劇場の支配人として再出発。様々な企画を繰り出し、全国有数の観客動員を誇る劇場に育てた。高田さんは脚本家としての顔も持ち、原爆劇など大衆演劇では馴染みのない社会性の強い芝居も書いてきた。そんな高田さんの新作「母千里」は北朝鮮による拉致問題を題材にした作品。小学校の4年間を広島で過ごし、中学一年生の時に新潟県で拉致された横田めぐみさんのことを思い、作られた。しかし、重いテーマに何人もの役者から演じることを断られる。ようやく引き受けてくれたのが、劇団「春陽座」の澤村新吾さん(66歳)。「母千里」は日本海に面した港町にピクニックに訪れたところ、娘が突然姿を消し、19年後に市役所から北朝鮮にいることを知らされるというストーリー。「母千里」は横浜でも上演され、会場には横田めぐみさんの父・滋さんも訪れた。そして作品のラストに、芝居小屋は涙に包まれる。
受賞歴
日本民間放送連盟賞(第59回エンターテインメント番組優秀)

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