テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

週刊報道LIFE 「ヘイトスピーチのいま」

番組ID
210260
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2015年07月05日(日)21:00~21:54
時間(分)
38
ジャンル
ondemand_video
報道・時事
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
BS-TBS
製作者
BS-TBS
制作社
BS-TBS
出演者
スタッフ
制作:山口恩門、プロデューサー:秋山浩之、ディレクター:平田絢子、ディレクター:石川瑞紀、ディレクター:三富千尋
概要
日曜夜に生放送でおくる報道番組。新たな視点による取材と詳しい解説で、ニュースをより深く伝える。編集長・キャスターは松原耕二。◆この日の特集テーマは「ヘイトスピーチのいま」。特定の人種や民族への差別的発言などを繰り返す行為“ヘイトスピーチ”。2013年に大きな社会的問題となったが、その後どうなっているのか、現状を追う。今でも差別的なデモや集会が全国各地で続く一方で、国に対策を求める決議が、全国およそ150の地方議会で採択されている。ただし国の動きは鈍く、法規制への具体的スケジュールは見えていない。表現の自由との兼ね合いも含めて、ヘイトスピーチ問題にどう対処すべきかを考える。

同じ年代の公開番組

NNNドキュメント’15 息子の就活 取材します! 報道記者の父と自閉症児

当初この番組の企画は、重い知的障害のある自閉症の息子を持つ報道記者が自分の息子の就労活動を取材することにより、一般の人にはあまり知られていない障害者雇用の実態や、福祉の抱える問題点などを浮き彫りにしていこうという狙いのものだった。◆いざ自らカメラを回しながら取材すると、目の当たりにしたのは障害者が働く現実の厳しさ。福祉施設での作業は「労働」と見なされないため「最低賃金」が適応されず、朝から夕方まで作業をしても平均月1万数千円にしかならない。果たして、息子は自立できるのか。◆およそ8ヶ月間、18歳の息子と就労活動に奔走するうち、障害者雇用の実態はおろか障害や息子のことそのものを、父である自分がよく理解できていなかったという現実に直面する。これまで放送記者の仕事に追われ、家事や育児を妻に任せっきりにしてきたことを改めて痛感することとなる。◆番組では障害者をとりまく環境の実情を伝えるとともに、障害のあるなしではなく、自分の子どもと向き合い問い直すことで、あらゆる家族について考える。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
SBSスペシャル 里の時間 ~縁側で待つ人たち~

静岡県浜松市天竜区春野町は「限界集落」をいくつも抱える典型的な過疎の町。行き交う車もないこの町を、週6日必ず走る軽トラックがある。「便利屋猿ちゃん」の移動販売の車だ。◆猿田光里さん(70歳)はお年寄りの世帯を回り、日用品や食料品を届けている。スーパーもコンビニもない地域で、週に一度やってくる猿田さんは、まさにライフライン。加えて楽しみなのが、縁側で猿田さんと交わす何気ない会話だ。◆山深い石切地区に暮らす久保サワさん(90歳)は、亡き夫と耕した畑を守りながら一人で暮らしている。訪問者はほとんどなく、猿田さんが唯一の話し相手。鈴木さち子さん(81歳)は、体の不自由な夫の昭さん(89歳)と二人暮らし。自動車免許がなく、夫の介護で外出もままならず、猿田さんから1週間分の食料を買いだめする。◆移動販売を始めて10年。猿田さんは40人以上のお客さんの死に向き合った。一人暮らしの八郎さんは体調を崩し、訪ねてきた猿田さんの連絡で入院、90歳の生涯を終えた。そして、キャラメルを買うのが好きだった101歳のなっちゃんも…。◆「時間を止めることはできないけれど、心に温かいものを届けることならできるはず」と猿田さんは話す。あわただしい日常とは無縁の山里にも等しく時間は流れ、人は静かに年月を重ねていく。6年間の取材を通じ、寂しくなっていく山里の姿と深まっていく猿田さんと住民たちの絆を追った。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
語り継ぐ…戦後70年愛媛の記憶

戦後70年という月日は私たちにとって何を意味するのか。その時を生きた人々が語る貴重な証言から考える。みんなのニュースえひめスペシャル。◆「物がない日常の記憶」:太平洋戦争を10代という多感な年頃で過ごした女性たちに、当時のリアルな日々の生活について聞く。そして満足に食べることもままならなかった戦時中の食事を、記憶をたよりに再現してもらう。◆「松山空襲、戦禍の記憶」:1945年7月、愛媛県内最大の空襲となった松山空襲。当時15歳だった中山淳さんは兄弟の手を引いて走り、水田のあぜ道で難を逃れた。この時の米軍の作戦任務報告書には、最大限に破壊効果が得られる爆弾の量や破壊率などが詳細に記載されていた。松山は2時問で焼き尽くされ、中山さん曰く「音さえも燃えた」という。◆「練習台にされた町の記憶」:原爆が投下される直前の1945年7月。愛媛県東部の工業都市・新居浜に2発の模擬・原子爆弾が投下された。米軍はこの模擬原爆を全国49ヵ所に投下し、集めたデータを元に広島・長崎への原爆投下を決行した。◆「物言わぬ爪痕が刻む記憶」:戦闘機や偵察機などの飛行機を敵の空襲から守るために作られた掩体壕。元海軍航空兵の杉野富也さんは、日々死を覚悟しながら戦いの空へと飛び立った一人だ。旧松山基地の掩体壕を「遠い空で死んでいった仲間の墓標として残してもらいたい」と話す。◆「記憶を平和へ語り継ぐ」:愛媛県東部の商業都市・今治市で10歳の時に終戦を迎えた新居田大作さんと、現在「平和学」の授業で戦争について学ぶ大学生・清水里紗さん。二人の交流の中で悲惨な戦災体験が昨日のことのように語られる。時間の限り伝える努力をしたいという新井田さんの話は、清水さんの心境を「想い」から「行動」へと大きく変化させていく。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.