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テレビ番組

UMKドキュメンタリー 笑顔咲くふるさとで ―山里の小さな介護宿―

番組ID
210634
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放送日時
2015年05月29日(金)15:00~15:55
時間(分)
47
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
テレビ宮崎(UMK)
製作者
テレビ宮崎(UMK)
制作社
テレビ宮崎(UMK)
出演者
ナレーター:田中トモ子
スタッフ
撮影:野津原真、編集:野津原真、タイトル:東正司、美術:緒方静二、MA:清山慎、音響効果:作田真由美、構成:松石泉、ディレクター:本村圭三、プロデューサー:河野真、制作:関計夫
概要
宮崎県宮崎市から車で2時間の静かな山間部にある木城町中之又地区。住民は34世帯56人。65歳以上の高齢者率が7割以上を占めるこの山里で、ゆっくり静かに営業しているのが24時間対応の有料老人ホーム「介護ホーム かぐら宿」だ。88歳から94歳まで、地区内外からの入所者4人が暮らしている。4人は皆認知症ではあるが、とても穏やかで会話もでき、施設では毎日笑顔が絶えない。◆施設を運営するのは地元出身の介護士・中武千草さん。幼い頃からお世話になってきた高齢者が中之又を離れ、町の介護施設へあずけられるのを見て、何とか住み慣れた故郷でゆっくり最期を迎えさせてあげたいと、「かぐら宿」を開いた。静かな山里で自然を感じながら、ゆっくり最期への時間を過ごせる「かぐら宿」だが、体調が急変した場合は迅速な対応ができないという厳しい現実もある。◆千草さんは「元来、生まれ育った土地で家族に看取られ静かに最期を迎えることが当たり前だった。その時が来るまで利用者が幸せに暮らせるようにサポートしたい」と言う。番組では「介護ホーム かぐら宿」ののんびり温かい日常を中心に、過疎高齢化の進む中之又地区の山の暮らしと文化を伝える。そして中之又にとって「かぐら宿」の存在意味や住民の思いについて取材し、限界集落での介護施設の役割を考える。

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