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テレビ番組

吉村作治 太陽の船復活 徹底解明!ピラミッドの謎 / RKB創立60周年記念番組

番組ID
205010
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2011年08月07日(日)16:00~16:54
時間(分)
47
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
school
教育・教養
放送局
RKB毎日放送
製作者
RKB毎日放送
制作社
RKB毎日放送、いまじん
出演者
吉村作治、小林麻耶、ナレーター:中村修三
スタッフ
監修:吉村作治、撮影:武藤繁、撮影:本田和浩、音声:松本英彦、編集:高尾将、MA:川添明彦、音響効果:寺岡章人、美術:脇田純子、美術:森貴史、美術:野崎美鈴、美術:山口真貴子、コーディネーター:岩出まゆみ、コーディネーター:吉村龍人、化粧:藤江理恵、編成:古木武文、演出助手:下地敏史、演出助手:三浦恵太、取材:山田尚、取材:筒井浩、ディレクター:高安克明、プロデューサー:坂井博行
概要
“太陽の船”は古代エジプトの死生観に基づいて作られた船。王(ファラオ)の魂は肉体の死後も永遠に生き続け、太陽の船に乗ってこの世とあの世を行き来するというものだ。太陽の船は2隻あり、この世とあの世は違う船に乗って天空を巡っていると、古代エジプトでは信じられていた。◆第1の太陽の船は既に発掘と復原を終えて展示されているが、第2の太陽の船は1987年に吉村作治教授率いる早稲田大学隊がその存在を確認。予備調査を行ったのは1993年だが当時の日本経済の落ち込みにより、資金難でプロジェクトを開始できなかった。しかし2007年、株式会社ニトリの資金援助によって2年の準備の後再開されたのが、発見後22年たった2009年4月であった。◆吉村教授による第2の太陽の船発見から約四半世紀。この回の発掘でようやく太陽の船を覆っていた巨大な蓋石を外して遺物の一部を肉眼で確認することができた。取材班は世界で唯一、蓋石が上げられた瞬間を捉えることに成功した。蓋石の取り外しには細心の注意が払われた。発掘用のテントの内部にさらに防護用のテントを設置し、遺跡内部と温度や湿度を合わせての作業だ。さらに発掘スタッフや取材スタッフも防護服を着用するという厳重な体制。4550年の時を経た空間に、遺物を損傷する可能性がある現代社会の細菌などを持ち込むわけにはいかないからだ。◆ピラミッドは余りにも有名だが、実は内部にも外部にも古代文字らしきものはほとんど描かれていない。一般的にファラオの墓と認識されているが、詳しいことは未だに人類最大の謎の一つだ。そこにこの回の発掘の学術的成果が太陽の船の発見だけにとどまらない大きな理由がある。取り外された蓋石には古代エジプト文字がたくさん描かれていたのだ。◆番組では巨大な蓋石に描かれていた文字をもとに、諸説あるピラミッドの建設方法や、なぜピラミッドは建設されたのかなど、フリーアナウンサーの小林麻耶が聞き手となってその謎に迫っていく。また、古代エジプト人は太陽の船をどのようなイメージで建造したのか、どのような航行を想像していたのかを、CG映像を交えて21世紀の現代に甦らせる。

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