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テレビ番組

映像’14 被爆を語るということ ヒロシマ・69年目の記憶

番組ID
209413
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放送日時
2014年09月01日(月)00:50~01:50
時間(分)
52
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
毎日放送(MBS)
製作者
毎日放送(MBS)
制作社
毎日放送(MBS)
出演者
ナレーター:斉藤とも子
スタッフ
撮影:原淳二、撮影助手:北島喜昭、編集:田中健、録音:田中徳朗、選曲:佐藤公彦、タイトル:平大介、VTR:三木嘉彦、宣伝:渡辺優子、ディレクター:大牟田聡、プロデューサー:大牟田聡
概要
原爆投下から2015年で70年になる。しかし被爆の実相や悲惨な戦争の実態を知らない国民が増え、核廃絶の訴えすら届かないと、無力感に囚われる被爆者も少なくない。「被爆体験の継承を」「風化させるな」といった言葉がメディアで取り上げられる一方で、被爆体験の証言者たちは確実に数が減っている。◆大阪市で生まれ育った86歳の高木静子さんは、17歳の時、広島女子高等師範学校に入学したわずか半月後に、原爆に遭った。大きな傷を負い、結婚後も後遺症に苦しんだが、それでも故郷の大阪市で被爆者の相談に乗り、被爆体験の証言も続けてきた。一方でつらい経験を繰り返し語っても、何も変えられなかったという思いも抱いている。◆「被爆体験を伝える」ということはどういうことなのか。番組では「どう伝えるか」ではなく「どう受けとめるべきか」という視点から、被爆体験と若者たちの取り組みを考える。

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