テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

金曜ドラマ MIU404〔6〕 リフレイン

番組ID
216351
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2020年07月31日(金)22:00~22:54
時間(分)
46
ジャンル
recent_actors
ドラマ
放送局
TBSテレビ
製作者
TBSテレビ
制作社
TBSテレビ、TBSスパークル
出演者
スタッフ
脚本:野木亜紀子、音楽:得田真裕、主題歌:米津玄師、撮影:関毅、撮影:草間巧、照明:川里一幸、映像:岡村亮、音声:杉村健太郎、編集:板部浩章、編集:森本大輔、編集:門田湧也(予告)、サウンドデザイン:遠藤浩二、音響効果:猪俣泰史、MA:東圭吾、音響効果:渡邊雅文、メイキング:長谷川浩平、TM:平木美和、音楽コーディネーター:溝口大悟、音楽コーディネーター:久世烈、美術プロデューサー:岡嶋宏明、デザイン:野中謙一郎(美術)、美術制作:渡邉由利、美術制作:長江暢子、装置:工藤健太郎、操作:星野大、衣装:鳥居竜也、ヘアメイク:松浦顕子、ヘアメイク:荒井智美、車両:中村隆志、車両:池田貴哉、車両:早川幸位、監修:原きよ子(警察)、カースタント:田邊秀輝、アクション:柴原孝典、監修:上村公一(法医学)、宣伝:磯谷昌宏、宣伝:星奈津美、宣伝:井田有香、宣伝:中島聡、スチール:西園雄祐、Web:下川恵、HP:館山和加子、HP:林知子、ライセンス:柳岡舞子、ライセンス:三森裕介、編成:橋本孝、編成:渡瀬暁彦、演出補:尾本克宏、演出補:鳥居加奈、制作担当:鷲山伸人、制作担当:大藏穣、プロデューサー補:高野英治、記録:森本順子、デスク:大本澪、プロデューサー:新井順子、演出:塚原あゆ子
概要
警視庁の機動捜査隊、通称「機捜」の変わり者2人がバディを組み、24時間というタイムリミットの中で犯人逮捕にすべてを懸ける。脚本:野木亜紀子。(2020年6月26日~9月4日放送、全11回)◆第6回「リフレイン」。志摩(星野源)が相棒殺しであるという噂話を聞いた伊吹(綾野剛)は、志摩から真相を聞き出そうとするが、志摩は一向に話そうとしない。そこで伊吹は、九重(水上恒司)から志摩のかつての相棒である香坂(村上虹郎)が不審な死を遂げていたことを聞き出す。伊吹は九重を引き連れ、香坂の死の真相、そして同日に起きた連続毒殺事件について調べ始める。
受賞歴
ATP賞(第37回最優秀賞)、放送文化基金賞(第47回ドラマ優秀賞)、ギャラクシー賞(第58回選奨)

同じ年代の公開番組

日本のチカラ ペンターン女子 ~半島で私らしく生きる!~

宮城県の北端に位置する、気仙沼市唐桑半島。かつては遠洋マグロ漁などで賑わったこの半島も、人口減少と高齢化が進んでいる。そんな中、この半島に全国各地の女子たちが毎年のように移住している。年齢は主に20~30代。彼女たちは自らを「ペンターン女子」(半島を意味する英語「ペニンシュラ」+移住「ターン」)と呼び、唐桑で仕事をしながら、漁師や農家の手伝いをしたり、お祭りやイベントを盛り上げたりと、新しい風を起こしている。女性たちが集まり始めたきっかけは、東日本大震災。震災直後の気仙沼には、全国から学生ボランティアが集まった。東京出身の根岸えまさんもその一人。どん底から這い上がる地元の人々の姿を見て「この人たちと一緒に生きていきたい」と決意し、大学卒業後移住したのだ。彼女のような震災ボランティアを中心にその輪は広がり、震災から10年、「ペンターン女子」の中には震災当時小学生だったという人も現れ始めている。彼女たちはどんな生活をしているのか。ここで、自分らしく、豊かに生きる。そんな彼女たちに迫った。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
映像’20 支え合い 中国残留邦人と介護施設

兵庫県尼崎市の高齢者介護施設「三和之家」。2020年1月に開業したこの施設は、田山幸雄さん、華栄さん夫妻が営む。生まれつき障害がある華栄さんは、中国・北京市の障害福祉課で働いていた。1992年に来日し、日中障害者交流の仕事に取り組み、その過程で、中国残留孤児が高齢化し、言葉や文化の壁で日本の介護施設に馴染めないケースを知り、日本に骨を埋めるつもりで、2020年に中国残留孤児たちが通いやすい高齢者施設を開いた。しかし、コロナ禍で利用者は減少し、財政的に厳しい状況に追い込まれるが、それでも施設を開け続け、1食200円と格安で昼食提供し続けた。施設に通う宮島満子さん(84歳)は終戦の6年前、満蒙開拓団として長野県から家族11人で渡ったが、終戦時の過酷な逃避行の中、両親や兄弟姉妹8人を亡くし、中国人夫婦の養子となった。19歳で結婚、4人の子供に恵まれ1985年、50歳で日本に永住帰国を果たす。現在1人で暮らす宮島さんは、「三和之家は過酷な人生を送った私にとって、憧れた祖国で楽しく過ごす、最後の場所」だという。戦後75年の夏、高齢化した中国残留孤児たちとそれを支える人たちの声を聞いた。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組