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テレビ番組

SBCスペシャル 汐凪 いのちの記憶の物語

番組ID
215964
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2021年02月03日(水)19:00~20:00
時間(分)
50
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
信越放送(SBC)
製作者
信越放送(SBC)
制作社
信越放送(SBC)、ティ・ブィ・フォー、コンテンツビジョン
出演者
ナレーション:三島さやか
スタッフ
写真:岩波友紀、撮影:橋爪忠博、撮影:丸山清寿、VE:牛丸直斗、VE:土屋貴弘、編集:和田秀一、MA:桑澤康則、CG:竹内あずさ、取材:三島さやか、ディレクター:手塚孝典、プロデューサー:上條剛正
概要
福島第一原発の事故から間もなく10年。大熊町への立ち入り規制は続き、許可がなければ自宅に帰ることができない。木村紀夫さん(55歳)の眼差しの先には、荒涼とした大地と山積したフレコンバッグがどこまでも続く。子どもたちとの思い出の山は切り崩され、除染作業で出た汚染土で埋めつくされる。避難先の長野県白馬村で長女と暮らし、車で6時間かけて大熊町に通っては、行方不明の次女・汐凪さん(当時7歳)を捜し続けた。中間貯蔵施設への土地の提供を拒み、自宅の周りを手入れして、田には菜の花を咲かせる。時が止まったまま、時が流れている、その残酷な現実を木村さんは生きていた。その姿を撮り続ける諏訪市出身の写真家・岩波友紀さん。遺骨の一部が見つかった時の木村さんの様子を深く心に刻んでいた。木村さんは2年前、福島に戻り、捜索のかたわら、震災の記憶を伝える活動を始めた。新たな経済活動に拠り所を求めて進む国や町の復興に疑問を投げかけ、亡くなった命を思って生きる木村さんの10年を見つめる。◆シリーズ東日本大震災10年

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