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テレビ番組

ありのままの最期 末期がんの“看取り医師” 死までの450日

番組ID
215641
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放送日時
2017年09月18日(月)22:50~23:40
時間(分)
50
ジャンル
cinematic_blurドキュメンタリー
放送局
NHK
製作者
NHK
制作社
NHK
出演者
語り:保村真
スタッフ
撮影:松川敬、音声:梁取哲也、音声:小松勇樹、映像技術:三浦正寿、音響効果:高石真美子、編集:菅野輝久、ディレクター:佐野広記、制作統括:坊恵一
概要
2015年12月、末期のすい臓がんで余命わずかと宣告された医師がいると聞き、取材に向かった。田中雅博さん(69歳)は、医師として、僧侶としてこれまで1000人以上の終末期の患者に穏やかな死を迎えさせてきた「看取りのスペシャリスト」である。そんな田中さんの「究極の理想の死」を記録しようと450日にもおよぶ密着取材が始まった。多くのがん患者は、自らが苦しむ姿を家族にさえ見せようとしない。それでも田中さんが取材を受けたのは、田中さん自身ががん患者たちが抱える死の不安を、患者たちの話を聞くことで和らげてきたからであった。田中さんは「取材も私のケアです」と明るく語る。しかし、症状が進むにつれて田中さんに死への恐怖、不安が襲いかかってくる。看取りのスペシャリストが見せてくれたありのままの最期とは。

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