テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

SBCスペシャル 消えた村のしんぶん ~滋野村青年団と特高警察~

番組ID
213408
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2018年05月02日(水)19:00~20:00
時間(分)
51
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
信越放送(SBC)
製作者
信越放送(SBC)
制作社
信越放送(SBC)、ティ・ブィ・フォー、コンテンツビジョン、アクテック
出演者
ナレーション:三島さやか、朗読:丸山隆之、朗読:飯塚敏文
スタッフ
撮影:橋爪忠博、音声:本島義和、編集:吉田真教、EED:川村博隆、MA:塚田敏康、CG:竹内あずさ、構成:手塚孝典、ディレクター:湯本和寛、プロデューサー:小林徳明
概要
長野県の旧滋野村(現在の東御市と小諸市の一部)では、かつて村の青年団が月刊の新聞「滋野時報」を発行していた。昭和2年(1927)の創刊で、大正デモクラシーの影響を受け、若者たちは高い自治意識を持ち、時報は自由な意見交換の場となっていた。上田・小県地域では33町村すべて「時報」が発行されていた。しかし、昭和15年10月、一斉に廃刊になる。新聞の統廃合を進めた特高警察のうち、長野県の特高警察に関する資料が全国で唯一残っていることがわかった。その中には、各紙が廃刊に追い込まれていった様子や当局の手法が記録されていた。昭和5年に波及した世界恐慌によって紙面が先鋭化すると、監視も強化され自由な言論は弾圧されていった。翌年の満州事変や、共産主義者を大量検挙した「二・四事件」を契機に発禁処分が頻発。戦争へと突き進む過程で、新聞は「自発的廃刊」に追い込まれた。言論の自由はどのように封じられていったのか、当時の資料を紐解きながら、その真相に迫る。

同じ年代の公開番組

日本遺産 シーズン2〔4〕 倉敷(岡山県) / 最古の国道 竹内街道・横大路(大阪府・奈良県)

日本各地の有形無形の文化財を歴史的ストーリーで結び合わせ、文化庁が認定した「日本遺産」を各回2件ずつ紹介し、今まで知っているようで知らなかった日本を美しく描き出す。(シーズン2:2017年12月3日~2018年2月11日放送、全6回)◆第4回。前編:「倉敷~和洋織りなす繊維のまち~(岡山県)」。白壁となまこ壁の蔵が建ち並ぶ中に洋風建築が混じる倉敷の特徴的な景観は、かつて一輪の綿花が植えられたことから始まった。綿栽培の営みは、真田紐から国産ジーンズへと続く繊維産業を生み出し、倉敷を繊維のまちへと導いた。和と洋が織りなす倉敷の街の魅力と歴史に迫る。◆後編:「最古の国道 竹内街道・横大路(大阪府・奈良県)」。およそ1400年前、推古天皇や聖徳太子によって大阪・難波から奈良・飛鳥に向けて総延長40キロに及ぶ日本最古の国道が造られた。道によって、世界の優れた技術や思想が飛鳥に伝わり、国造りを支えてきた。道を辿ると、“日本”の名の由来や、国にもたらしたものが見えてくる。


school教育・教養cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
天空の頂に 槍ヶ岳 山小屋100年物語

北アルプスの盟主と呼ばれる3180mの名峰槍ヶ岳は、古くから多くの登山者の憧れの山。槍の「穂先」と呼ばれる山頂直下に、人気の山小屋「槍ヶ岳山荘」がある。その始まりは100年前に穂苅三寿雄が槍沢に開いた「槍沢小屋」。自然を愛した三寿雄は、槍沢小屋や、その後開いた槍ヶ岳山荘を拠点に山々を歩き、山岳写真家の草分けとなった。後を継いだ二代目の穂苅貞雄は、山小屋の増築や改築を重ね現在の小屋の礎を築いた。彼も高山の様々な表情をフィルムに収め、写真家としても知られる。三代目の康治は京大から大手商社に就職し、イギリスの駐在員を務めた秀才。40歳の時「自分にしか出来ない仕事をしたい」と考え山小屋を継いだ。そして2017年4月、康治の四男大輔は大手携帯電話会社を辞め、4代目を目指して山小屋の修行を始めた。幼い頃から父に連れられ槍ヶ岳に来ていた彼は、「いつか小屋の仕事をしたい」という思いを持っていた。小屋開けから11月の小屋閉めまで、槍ヶ岳山荘の1シーズンに密着。槍ヶ岳に寄り添いながら、100年4代が受け継いでいこうとする思いを見つめた。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組