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テレビ番組

ザ・ノンフィクションスペシャル 人殺しの息子と呼ばれて ~北九州連続監禁殺人事件~

番組ID
213072
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2017年12月15日(金)21:00~22:52
時間(分)
96
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
フジテレビジョン(CX)
製作者
フジテレビジョン(CX)
制作社
フジテレビジョン(CX)、メディア・バスターズ
出演者
語り:下山吉光、語り:近藤サト
スタッフ
構成:東正紀、撮影:福元憲之、EED:森田淳、MA:藤岡幸進、音響効果:波多野精二、編集:藪下一也、広報:山本麻祐子、デスク:伊藤ひろみ、編成:赤池洋文、テーマ曲:武部聡志(オープニング)、テーマ曲:宮田悟志(エンディング)、演出補:須田正史、ディレクター:荒井さちえ、プロデューサー:河島正三郎、チーフプロデューサー:張江泰之
概要
2017年10月15日と22日の2週にわたって放送し、大きな反響が集まった『ザ・ノンフィクション 人殺しの息子と呼ばれて…』に、追加取材した内容を加え、再編集したスペシャル版。◆2002年に発覚した北九州連続監禁殺人事件の犯人である夫婦の元に生まれ、「人殺しの息子」と呼ぱれながら生きてきた息子(24歳)が、初めてメディアのインタビューを受け、自身の怒りや悲しみ、そして苦悩の日々などを激白する。取材のきっかけは、事件を扱った番組に対するクレームの電話だった。その電話の主こそが犯人夫婦の息子だったのだ。息子は番組ディレクターとやり取りをしていく中で、インタビューを受けることを決意する。息子は両親の残虐行為を目撃し、自らもまた激しい虐待を受けていた。両親が逮捕され、ようやく解放されたたと思いきや、そこで待っていたのは冷酷な世間だった。インタビューを通して、法廷でも明かされなかった事実、そして人殺しの息子として生きてたその壮絶な人生を伝える。

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