テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

NHKスペシャル “夢の丘”は危険地帯だった ~土砂災害 広島からの警告~

番組ID
212382
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2014年10月31日(金)22:00~22:49
時間(分)
49
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
NHK
製作者
NHK
制作社
NHK、NHK広島
出演者
語り:礒野佑子
スタッフ
撮影:森山慶貴、照明:生形清、音声:池田茂、音声:安川賢司、映像技術:松島史明、映像デザイン:久世敦司、CG:齋藤丈士、音響効果:三澤恵美子、編集:瀬賀康介、編集:井碩克伸、取材:中村友聡、ディレクター:葛城豪、ディレクター:花井利彦、ディレクター:石濱陵、制作統括:高倉基也、制作統括:東聡
概要
広島市で74人の命を奪った同時多発土砂災害が、全国に衝撃を与えている。一見どこにでもある丘の住宅街が土石流に押し流され、宅地開発のリスクが浮かび上がったのだ。今回被害に遭ったのは、その多くが高度経済成長期以降、谷筋にできていった住宅だった。開発はどのように進み、何が被害を拡大させたのか。さらに、災害の教訓はなぜ生かされないのか。各地に存在する土砂災害危険箇所のリスクを、被災地の取材から浮かび上がらせる。

同じ年代の公開番組

ヒノキは僕らの宝物 若い力が森林を再生する日

人口およそ1500人、岡山県北の小さな村・西粟倉村。村の面積の95%を森林が占め、その半分がヒノキだ。かつては日本の五大ヒノキ産地のーつとして栄えたこの村も、安い輸入材に押されて林業が衰退。過疎・高齢化も相まって、手つかずの森林が増えている。◆活気を失っていた村に、今は若者たちの明るい声が響いている。大島正幸さん(33歳)が代表を務める「木工房ようび」。ヒノキをはじめとする木工に魅せられて集まったメンバーは、6人全員が岡山県外からの移住者だ。大島さんが移住を決めたのは、3世代にわたって森を守り続けている延東義太さんの一言がきっかけだった。「きちんと手入れして子供のようにかわいい山なのに誰も欲しがらない」。◆ヒノキは光沢の美しさと香り、強度を兼ね備え、世界最古の木造建築・法隆寺にもみられるように、古くから建材に用いられてきた。しかし他の木に比べて柔らかく、油分が多いため、家具の素材には適していない。大島さんは試行錯誤の末、独自の工法を編み出し、そのタブーを打ち破った。これまで誰も手を付けなかった分野にあえて挑戦したのは、ヒノキの使い道が広がらない限り、村が進める「百年の森林構想」の実現はないと考えたからだ。◆そして、大島さんたちが最も力を入れているのが、ヒノキの学習机づくり体験ツアー。伐採から机づくりまでを親子で体験し、森林と生活の関わりを実感してもらおうというものだ。大島さんは木工の仕事を「ヒノキが育つ長い時間と、家具として使われる長い時間の間を預かる、短いけれど大切な役割」と話す。ヒノキという村の宝物を再び輝かせ、後世に伝えていこうとする若者の姿を追った。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
うまい酒、もう一度 ~老舗蔵元豪雨災害からの復活の歩み~

2013年7月28日に山口県北部を襲った豪雨災害。死者2人、行方不明者1人、1千を超える家屋が浸水するなど、山口市や萩市などで大きな被害が出た。◆萩市小川地区では町の中心を流れる田万川が氾濫した。川の畔にある創業90年の蔵元、澄川酒造場も酒造りの設備のほとんどが壊滅した。酒造りの再開が危ぶまれるほどの状況であったが、社長兼杜氏の澄川宜史さんは強い決意で復活への道のりを歩み始めた。◆復旧に手を貸したのは、全国の酒造りの仲間たち。土砂やガレキの除去作業は急ピッチで進んだ。復活への第一歩は、水に浸かりながらも品質に問題がなかった酒の出荷。酒のコンテストの表彰式で訪れた東京では、仲間たちと再会して勇気を得た。◆酒造りが始まった。緊張感に包まれる蔵で、黙々と作業は進んだ。家族の支えも澄川さんを後押しする。復活への歩みが進むにつれ、澄川さんの心境にも変化が…。「被災者としての甘えに区切りをつけなければいけない」と複雑な心境がのぞく。◆迎えた新酒の搾り。そして出荷へ。うまい酒を届けるために、蔵では今日も酒が搾られる。番組は、老舗復活までの歩みをつづる。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
NNNドキュメント’14 マザーズ 特別養子縁組と真実告知

「特別別養子縁組」は、親が育てられない6歳未満の子どもを血縁関係のない夫婦に実子として託す制度で、新生児の遺棄などから小さな命を守る手段の一つでもある。◆29歳の女性は今、産みの母を探している。中学のときに親子喧嘩の弾みで、ある書類を叩きつけられ、自分が養子であることを知ってしまった。「事実が知りたくても(今の親に)“知らない”って話を蹴られてしまう」「それ以上自分から“私はどこから来たの”とか聞く勇気がなかった」と語る女性は、裁判所で審判書きの開示を求めた。そこには、未婚の産みの母親が妊娠した時には既に相手の男性と連絡が取れなくなっていた事、育てる事ができず乳児院に預けられた事が書かれていた。産みの母と思われる人が今も生きていることがわかったが、女性はそこを訪ねることはできなかった。ただ、自分が生まれた理由がどんな事実であれ、「私は真実を知りたい」と語る。◆外出先から自宅に帰る途中に性被害にあったという高校生は、気づいた時は妊娠7ヶ月。赤ちゃんを特別養子縁組で委ねる決意をするが、性被害によってできた赤ちゃんを産んでも特別養子縁組で引き取る夫婦がいないのではと不安がる。また、お腹が大きくなるにつれ「自分で育てたい」と母性に揺れ動く。すでに養親に決まっている夫婦は、「どう生まれたか」よりも、「授かった命を大切にしたい」と思いを語り、「養子であることも、どうやって生まれたかという真実も伝える」と言う。女子高生は無事出産し、赤ちゃんはこの夫婦に託され、新しい家族が誕生した。◆養子への偏見もあるなか、苦悩しながらも前向きに生きる人たちへの取材を通して、特別養子縁組と真実告知の現実を伝え、新しい「家族」のあり方を問いかけた番組。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
SBCスペシャル 確証 ~初証言・松本サリン事件20年~

1994年6月27日夜、長野県松本市でオウム真理教によるサリン事件が発生した。この夜だけで7人が死亡、市民600人余が被害を受けた。長野県警は、事件の第一通報者の河野義行さんの自宅を家宅捜索し、マスコミも河野さんの疑惑を報じた。◆事件から20年を経て、捜査の指揮官だった長野県警の淺岡俊安元捜査一課長が初めてテレビ取材に応じた。この中で、事件から1か月後には河野さんは「犯人ではない」と断定していたこと、さらに、事件からひと月もたたない時期にオウム真理教への捜査を密かに始めていたことを初めて証言した。この極秘捜査は「コードネームY」と呼ばれ、意外な展開を見せる。◆一方、河野さん親子は、警察内部の動きを知ることもなく、容疑者扱いを受け続けた。河野さんは厳しい事情聴取を受け、高校生の長男は警察官の虚偽の誘導で自白を求められた。強引な捜査手法と警察独特の論理によって追い込まれていったのである。◆サリン中毒で14年間も闘病生活を送っていた河野さんの妻・澄子さんが2008年に亡くなった。3人の子供たちは独立し、松本を離れた。一家はこの20年を振り返り、「あの時と今」をどうとらえているのか。子供たちへの取材から、その思いを伝える。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.