テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

新ふるさと百景 夜空高く彩る夏の灯り ~米子がいな万灯~

番組ID
211568
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2016年08月21日(日)10:55~11:25
時間(分)
25
ジャンル
school
教育・教養
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
日本海テレビジョン放送(NKT)
製作者
日本海テレビジョン放送(NKT)
制作社
日本海テレビジョン放送(NKT)
出演者
スタッフ
演出:山本芳朗、制作:河野信一郎
概要
時代の流れとともに消えようとしている、ふるさと島根・鳥取の素顔、自然、生活、文化、伝承行事などを、映像遺産として後世に伝えるシリーズ番組。太田胃散文化スペシャル。◆米子市の夏の風物詩・米子がいな祭。日暮れ間近から始まる「米子がいな万灯」は祭りの華だ。万灯は提灯が飾り付けられた竹竿を、額や顎、腰などで担ぎその妙技を競う。次々と繰り出される技と夜空高く彩る提灯の揺らめきは、多くの人を魅了する。米子がいな万灯は、東北三大祭りのひとつ「秋田竿燈」の技を習い、米子がいな祭の目玉にしようと31年前に誕生した。空高く掲げられる提灯は、稲穂のようで五穀豊穣を祈願するものだ。この年は45組が参加し技を競った。万灯は中心の竹の長さが約8メートル。46個の提灯で米粒の形を作っていく。演技では1メートルほどの竹を次々と接いでいき、最後は高さ14メートル余りにもなる。30キロもの万灯を手のひらだけで上げるだけでなく、扇子や傘の小物も使い、大技、小技で技を競い合う。担ぎ手の回りでは、鳴子などをもったお囃子隊が盛り上げる。

同じ年代の公開番組

みらいへの約束 ~東日本大震災から5年 被災文化財を救え~

東日本大震災から5年。被災した文化財の修復作業を取材し、地域の宝を取り戻して、未来へのバトンをつなぐ人々の情熱と困難を描く。◆岩手県立博物館の横に建つプレハブの建物は「仮設陸前高田市立博物館被災文化財等保存修復施設」。ここでは世界の文化財の歴史の中で、かつてない試みが続けられている。海水を被った文化財を再び水洗し、保存修復する作業だ。陣頭指揮をとるのは博物館の首席学芸員・赤沼英男さん。震災発生後、赤沼さんは被災地の博物館を訪れ、その状態のひどさに打ちのめされた。「救出は出来たが、その資料を震災前の状態に戻すのは不可能だと思った」。ヘドロや土砂に埋もれた資料は、それが文化財なのか、がれきなのか、見分けがつかない状態。陸前高田市では、博物館や図書館などが所蔵する文化財およそ56万点が被災した。なかには日本で最大の隕石落下の記録や、藩政時代の100冊におよぶ古文書「吉田家文書」もあった。「海水に浸かった文化財再生は、国内のみならず国際的にも未経験。方法論が無い」。地域の記憶を取り戻す挑戦がゼロから始まった。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
震災2000日 被災地医療の今 復活 石巻市立病院

旧北上川の河口近くにあった石巻市立病院は、東日本大震災の津波で被災した。医師・看護師、患者や周辺住民あわせて400人以上が孤立し、救助が来るまでの4日間を病院で過ごした。その後、被災した石巻市立病院は解体され、仮の診療所での診療を続けてきた。元々、石巻では急性期患者の受け入れを石巻赤十字病院と石巻市立病院の2か所で担ってきたが、石巻市立病院が被災したため、石巻赤十字病院に急性期患者が集中した。患者を仙台圏に搬送することも多く、石巻市立病院の再建は急務となった。開院当初から石巻市立病院を支えてきた伊勢秀雄病院長(当時66歳)は「石巻の真の復興のためにも、一刻も早く病院を再建すべき」と奔走する。あれから5年。被災地特有の新たな課題が浮き彫りになってきた中、新しい石巻市立病院では、医療・福祉・介護の連携を目指して石巻市が進める「地域包括ケア事業」へと積極的に協力する方針を打ち出した。伊勢病院長も自ら訪問医療へ出向き、被災地医療が抱える課題に真正面から向き合う。◆創る・あした ~伝えていきます~ ミヤテレ震災復興プロジェクト


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
8月6日の切符 ~あの日列車が走った~

あまり知られていない事実だが、原爆が投下された1945年8月6日、広島で国鉄の列車が運行されていた。その列車によって繋がれた命があった。庄原市の江木千鶴子さんは、あの日乗車した芸備線己斐-備後十日市(現在の西広島-三次)間の切符を、原爆資料館に寄贈した。当時1歳8か月の江木さんは広島駅で母親と共に被爆し、その日のうちに列車で広島を逃れた。生き延びることができたのは、沿線の住民らの救護のおかげだった。一方、原爆投下のわずか1時間後、損傷した広島駅では国鉄職員らが復旧作業を始めていた。現在マツダスタジアムがある第一機関区では、貨車を寄せ集めた避難列車が糸崎駅へ向けて出発しようとしていた。その列車で避難した男性は、今もその時の状況を鮮明に覚えている。鉄路を伝って逃げてくる被爆者を機関車の運転席に乗せ、西条に運んだ国鉄マンもいた。列車によって多くの命がつながった一方で、原爆による混乱は、壊滅した広島市街地から遠く離れた郊外にも広がっていくことになる。広島と広島以外。原爆で分かれた2つの世界を列車は行き来した。列車をめぐるあの日の物語を関係者の証言や残された資料から掘り起こす。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.