テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

残念な夫。〔10・終〕

番組ID
210044
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2015年03月25日(水)22:00~22:54
時間(分)
46
ジャンル
recent_actors
ドラマ
放送局
フジテレビジョン(CX)
製作者
フジテレビジョン(CX)
制作社
フジテレビジョン(CX)
出演者
スタッフ
脚本:山崎宇子、主題歌:ユニコーン、音楽:横山克、撮影:長谷川諭、撮影:宍戸勇、撮影:篠田忠史、撮影:木下雄介、撮影:古川結貴、撮影:進信晶、TD:浅野仙夫、映像:藤本伊知郎、音声:渡部満裕、音声:池谷鉄兵、音声:金子直樹、音声:児玉有紀、照明:田部谷正俊、照明:後藤史兆、照明:奥村健太、照明:木村円香、サウンドデザイン:近藤隆史、MA:高橋昌之、音響効果:岩尾亮太、音響効果:飛田楓、オフライン編集:柳沢竜也、オフライン編集:落合菜月、編集:杉山英希、編集:千葉宜志、VFX:冨士川祐輔、VFX:三谷晋平、技術プロデューサー:名取佐斗史、技術デスク:青木季也、美術プロデューサー:宮崎かおる、デザイン:棈木陽次、操作:黒川兼一、美術進行:杉山貴直、装飾:山科貴弘、装飾:鷲澤栄一、装飾:松山紗希、衣装:加藤優香利、衣装:杉本真寿美、スタイリスト:石橋修一、スタイリスト:橋爪里佳、ヘアメイク:坂本敦子、ヘアメイク:三宅杏奈、視覚効果:大里健太、フード:住川啓子、監修:田湖博、監修:馬渕泰至、ことば指導:佐田明、リサーチ:今井紳介、広報:清田美智子、宣伝:加地綾子、HP:丸谷利一、スチール:新開雅哉、制作担当:町田虎睦、制作主任:三浦吉弘、制作主任:梶谷真也、制作主任:日出嶋伸哉、制作主任:丹野愛、車両:佐々木俊彦、車両:後藤浩明、車両:中尾孝、車両:諏訪智祐、スケジュール:舟橋哲男、デスク:遊佐純子、演出補:鳥飼久仁、演出補:黒田成美、演出補:柳元大輝、演出補:西岡和宏、演出補:土橋沙由里、ラインプロデューサー:羽鳥秋乃、プロデューサー補:細川紫乃、プロデューサー補:高橋奈央、記録:恩田一代、記録:土屋真由美、演出:宮木正悟、演出:菊川誠、演出:品田俊介、プロデューサー:小原一隆、演出:西坂瑞城
概要
出産を機に夫婦関係が冷え込んでしまう「産後危機」問題をテーマにしたドラマ。子どもが生まれたのに父親らしい進歩が見えない主人公が、“最高のパパ”に成長して家族の絆を深めることができるのかをコメディータッチで描いていく。(2015年1月14日~3月25日放送、全10回)◆最終回。榛野陽一(玉木宏)は調停で、知里(倉科カナ)の要求を全て認め、離婚に同意した。最終的な離婚届の提出も、知里に任せることも承諾する。新潟の実家に戻った知里は、父の牧田仁輔(石倉三郎)、母の京子(角替和枝)に本当にこれでよかったのかと心配される。うなずく知里だが、離婚届を目の前に、まだどこか迷っていた。一方、陽一の家には、細井茂(岸谷五朗)と月島博(温水洋一)が訪ねて来た。自分の非を全て認め、離婚にも同意の上で、娘の華に恥じることのない父親になるという陽一の決意に、細井と月島は感心する。条件付きで須藤俊也(黒木啓司)にやり直すことを認めた由衣(高橋メアリージュン)。しかし、俊也の方が離婚を求めていた。由衣は心療内科のカウンセラーを訪ねる。知里との離婚の引き金となった陽一の浮気相手、大石かおり(笛木優子)がヘッドハンティングで会社を辞めるという。陽一が挨拶に行くと、かおりは知里と会ったと意外なことを話し出した。必死に家族を守ろうとする知里の姿に、陽一をあきらめたと続けるかおり。それなのに離婚とは…と、陽一はかおりに言われてしまう。細井家では、美香(生田絵梨花)のピアノコンクールが一週間後に迫っていた。美和子(大塚寧々)は知里に会うため新潟に向かう。やんわりと離婚を思いとどまらせようとする美和子だが、知里の陽一への幻滅は重かった。その頃、陽一は今までの自分を変えようと必死になっていた。

同じ年代の公開番組

英雄の妻 敦子 ~激動の日中関係を生きた女の人生~ / 第29回民教協スペシャル

1971年3月、愛知県体育館で開催された「世界卓球選手権」。東西冷戦の時代、断絶していた中国とアメリカが手を取り合うきっかけとなった大会だ。荘則棟(そうそくとう)はその「ピンポン外交」の立役者。彼は世界卓球選手権を3連覇し、建国間もない中国に夢と希望をもたらした「民族の英雄」だった。◆この時に名古屋で荘則棟と出会い、後に妻となった佐々木敦子さんは、1944年に当時の満州で生まれた。獣医だった父親の研究継続のため、終戦後も家族で中国に残ることになり、未開の中国西域に移り住んだ。その後、父親が亡くなり、敦子さんは22歳で初めて日本で暮らすことになる。しかし祖国での暮らしに馴染めず、心は中国を求めていた。◆そんな時に世界卓球選手権大会が開かれた。中国代表チームの参加が報じられ、敦子さんはたまらずに名古屋へ向った。中国チームのいるホテルを訪ねた敦子さんに、たまたま応対したのが荘則棟だった。荘は「日中友好に貢献を」と言葉を掛けたという。そして敦子さんは大手商社の中国駐在員となる。荘はスポーツ大臣にまでなっていたが、毛沢東が亡くなり、それまで権力を握っていた「四人組」が失脚。荘は四人組の協力者とみなされ、4年間監禁された後、地方へ追放された。◆敦子さんは荘則棟の境遇を知り、北京で荘と再会した。そして何とか彼を救おうとし、いつしか2人は恋に落ちた。しかし中国政府は2人の結婚を認めなかった。大きな犠牲を払い結婚した2人に、20年以上は幸せな日々が続いた。しかし2013年に荘がガンで死亡。そして中国当局はかつての「英雄」の葬儀を禁ずると告げてきた。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.