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テレビ番組

英雄の妻 敦子 ~激動の日中関係を生きた女の人生~ / 第29回民教協スペシャル

番組ID
209385
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放送日時
2015年02月11日(水)10:50~11:45
時間(分)
47
ジャンル
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ドキュメンタリー
放送局
名古屋テレビ放送(メ~テレ)
製作者
名古屋テレビ放送(メ~テレ)
制作社
名古屋テレビ放送(メ~テレ)、民間放送教育協会
出演者
ナレーション:常盤貴子
スタッフ
コーディネーター:尚笑、撮影:浅井大輔、撮影:高軍、音声:大泉真一、音声:桑原健、編集:世古和弘、編集:河合孝昭、選曲:番匠祐司、MA:加藤貴春、ディレクター:村瀬史憲、プロデューサー:城田達康、プロデューサー:神道俊浩、プロデューサー:雪竹弘一、制作統括:平岩潤
概要
1971年3月、愛知県体育館で開催された「世界卓球選手権」。東西冷戦の時代、断絶していた中国とアメリカが手を取り合うきっかけとなった大会だ。荘則棟(そうそくとう)はその「ピンポン外交」の立役者。彼は世界卓球選手権を3連覇し、建国間もない中国に夢と希望をもたらした「民族の英雄」だった。◆この時に名古屋で荘則棟と出会い、後に妻となった佐々木敦子さんは、1944年に当時の満州で生まれた。獣医だった父親の研究継続のため、終戦後も家族で中国に残ることになり、未開の中国西域に移り住んだ。その後、父親が亡くなり、敦子さんは22歳で初めて日本で暮らすことになる。しかし祖国での暮らしに馴染めず、心は中国を求めていた。◆そんな時に世界卓球選手権大会が開かれた。中国代表チームの参加が報じられ、敦子さんはたまらずに名古屋へ向った。中国チームのいるホテルを訪ねた敦子さんに、たまたま応対したのが荘則棟だった。荘は「日中友好に貢献を」と言葉を掛けたという。そして敦子さんは大手商社の中国駐在員となる。荘はスポーツ大臣にまでなっていたが、毛沢東が亡くなり、それまで権力を握っていた「四人組」が失脚。荘は四人組の協力者とみなされ、4年間監禁された後、地方へ追放された。◆敦子さんは荘則棟の境遇を知り、北京で荘と再会した。そして何とか彼を救おうとし、いつしか2人は恋に落ちた。しかし中国政府は2人の結婚を認めなかった。大きな犠牲を払い結婚した2人に、20年以上は幸せな日々が続いた。しかし2013年に荘がガンで死亡。そして中国当局はかつての「英雄」の葬儀を禁ずると告げてきた。

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