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テレビ番組

どさんこドキュメント 生活保護を考える 生きる権利 問い続けた637日の記録

番組ID
208202
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放送日時
2013年10月19日(土)09:30~10:25
時間(分)
46
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
札幌テレビ放送(STV)
製作者
札幌テレビ放送(STV)
制作社
札幌テレビ放送(STV)
出演者
ナレーター:吉川典雄
スタッフ
取材:横内郁麿、撮影:吉田将央、音声:佐藤習平、編集:吉田香澄、MA:斉藤豊、音響効果:三上利恵、AD:高橋慶、プロデューサー:佐々木律
概要
懸命に生きようとする若者、世間の目を気にして細々と生きる高齢者、苦悩の果てに自ら生きる権利を捨てた親子…。取材班は様々な人生と向き合ってきた。取材の発端となったのは、2012年1月、札幌市白石区で40代の姉妹が遺体で見つかった問題だ。姉は生前3度も生活保護窓口を訪ねていたのに、保護には至らなかった。“最後のセーフティネット”と呼ばれ、生活困窮者を救うはずの制度が、なぜ…。◆今、生活保護に何が起きているのか。STV報道部では取材班を結成し、シリーズ「生活保護を考える」と題して、さまざまな角度から取材と放送を繰り返してきた。600日を超える取材からは、それまでなかなか表には出てこなかった生活保護の実態が見えてきた。繰り返し報道される不正受給は全体のごくわずかに過ぎないという事実、高齢受給者を増やす年金政策の不備、制度の根幹を揺るがしかねない急増する“生活保護予備軍”の存在、そして、保護へ厳しい視線が起こしたあまりにも痛ましい事件…。◆生活保護の実態を知る度に、取材班の保護への認識は徐々に変わっていった。生活保護とは、私たち誰もが生まれながらに持っている“生きる権利”を支えてくれる制度である。それが今、大きな岐路に立っている。長きにわたる経済の停滞と繰り返される政治の混乱で、国民の生活は苦しくなる一方だ。誰もが懸命に生きる中、生活保護への風当たりは強まってきている。しかし番組では、私たちの“生きる権利”について、いま一度冷静に考えることを提案する。

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