テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

届かぬ声 ~60年の歳月がもたらしたもの~

番組ID
208527
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2013年05月25日(土)13:00~13:54
時間(分)
48
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
山陰中央テレビジョン放送(TSK)
製作者
山陰中央テレビジョン放送(TSK)
制作社
山陰中央テレビジョン放送(TSK)
出演者
ナレーター:槇大輔
スタッフ
編集:野田貴、音響効果:金子寛史、MA:小嶋雄介、テロップ:内部圭子、テロップ:青山肥美、題字:吉村崇、ディレクター:平井謙太、プロデューサー:山根収、制作統括:小原千明
概要
課題が山積する外交問題。近年、特にクローズアップされているのが、領土を巡る問題だ。そのうち島根県の「竹島」は、韓国による不法占拠のため、自国の領土でありながら日本人が近づくことさえできない状況が続いている。しかし国は「大局的視点で粘り強く問題解決を図る」などとして具体的な行動を起こすことに消極的な態度を続け、2005年に島根県が制定した「竹島の日」条例に対しても、韓国側の対応に配慮して一歩引いた態度を示していた。◆こうした中、「寝た子を起こした」のが2012年8月の韓国・イミョンバク大統領(当時)の竹島上陸だった。さすがに政府は国際司法裁判所への提訴を表明。竹島問題に対する世論の注目も高まった。また、その後の総選挙で「政府主催の竹島の日式典を開催する」と公約を掲げた自民党が大勝。竹島問題に対する潮目が変わると期待された。しかし安倍政権発足から半年、韓国の新政権への配慮で竹島問題に関する動きはトーンダウン。問題解決への道筋はまた見えなくなってしまった。◆山陰中央テレビでは、竹島の日が制定された2005年を機に、継続的に竹島問題を取材してきた。問題解決を願って声を上げ続けている地元・隠岐の島町の漁師や、明治から戦前にかけて竹島に渡り漁労活動をしていた関係者の子孫たち。不法占拠から60年が経過し、すでに竹島で漁をしたことのある人はいなくなってしまった。番組では、時代や時の政権によって翻弄され続けている人々の叫びを伝え、改めて竹島問題を世論に問いかける。

同じ年代の公開番組

人生はリングの上に ~夢を追う58歳 おやじボクサー~

現役のアマチュアボクサー、松永悟さん58歳。長崎県佐世保市の早岐警察署に勤める現職の警察官だ。48歳の時にガンを患い、一度は人生も終わりかと絶望したが、ボクシングをすることを励みにして、見事に病を克服。その後もボクシングを続ける松永さんの姿は、同じように病と闘う人や同世代の人たちを勇気づけている。◆自らの闘病の励みになったボクシング。このスポーツを通して感動をたくさんの人に与えることが、残された人生で出来ることだと松永さんは考えた。その使命感は過酷な練習に耐えるための力になっていたが、年齢を重ねるごとに体が追い付かなくなってくる。病に倒れた妻にもボクシングで元気を与えたいと闘志を燃やすが、一方では、もう年齢的に無理をしないで欲しいと娘たちが思っていることにも気付く。◆若い頃に見たチャンピオンの夢を、58歳で追い続ける松永さん。1回目の人生は、48歳でガンを患った時に終わったという。「今の命は自分だけのものじゃないから、みんなを励ましたり、応援したりするために使いたい」中年のヒーローはどこまで頑張るんだろうか。自分がしたいこと、出来ることを、ただひたすらに信じて突き進むオヤジの姿は、「今を精一杯生きているか」と問い掛けてくる。


cinematic_blurドキュメンタリーdirections_bikeスポーツtvテレビ番組
TSS報道特別番組 ヒバクシャと被曝者 繰り返される悲劇

原爆投下から68年目を迎えるヒロシマ。被爆による健康不安を抱える人々の支えになってきたのが、医療費などの支援を受けることができる被爆者としての証、「原爆手帳(被爆者健康手帳)」だ。◆その制度を見習った自治体がある。福島第一原発事故で全ての住民が避難を余儀なくされた福島県浪江町。全住民約2万1千人は、県内外でいまだ避難生活を続けている。町職員の紺野則夫さんは、町民の健康を守るための制度作りに奔走した。その努力が実り、浪江町の「放射線健康管理手帳」は2012年8月にスタート。国に医療費の無料化を訴えると同時に、被ばく線量や健診の結果などを記入し、健康の保証や賠償の根拠にするもので、各地で避難を続けている全町民に配布された。◆しかしかつてのヒロシマでは、原爆手帳の交付を拒否し続けた人が数多くいた。片山春子さんもその一人。若いころ「被爆は遺伝する」と言われ、結婚を何度も断られた。そのため、被爆者であることを隠して結婚。生まれたわが子の将来を思って原爆手帳の発行を拒み、夫が亡くなるまで被爆者であることを隠してきた。しかし「核の悲劇を繰り返してはならない」と、3年前から被爆の「語り部」としての活動を始めている。◆現在の浪江町。住民はいまだ自分の家に戻る目途がたたず、建物は痛み、田畑は荒れ放題のまま。そして、避難生活を続ける人たちの現実。転校先の学校で同級生に「放射能がうつる」と言われた小学生の女子。被ばくの事実が娘の結婚や将来に影響することを心配する母親。「被災者は賠償金で遊んでいる」と思われたくないと、周囲を気にしながら生活を送る自営業の男性。かつてヒロシマの人たちが経験した、放射線の二次被害ともいえる“差別・偏見・中傷”が繰り返されていた。◆浪江町が始めた「放射線健康管理手帳」をめぐっては、国に求めている恒久的な医療費無料化の実現の道は見えず、周辺町村からは「被ばく者として差別されるかもしれない」と同調に消極的な声があがっている。この現状にもどかしさを抱える町職員の紺野さん。浪江町の人たちの苦しみや不安は外の人たちには気付かれず、あるいは忘れ去られようとしている。◆そして、国は“原発再稼働”に向け、確実に歩みを進めている。ヒロシマとフクシマ。この2つの「被ばく地」を通じ、“核”がもたらしたものについて、私たちが何を見つめ、何を伝えていかなければならないかを考える。


cinematic_blurドキュメンタリーondemand_video報道・時事tvテレビ番組
テレメンタリー2013 “3.11”を忘れない32 3人で生きる ~震災孤児 兄弟が歩んだ732日~

2011年3月11日。東日本大震災の巨大津波は、子どもたちから親を奪い、多くの遺児・孤児を生み出した。両親とも死亡または行方不明となった孤児は、宮城・岩手・福島の被災3県で241人に上る。子どもたちは震災とどう向き合い、どう生きてきたのか。◆宮城県石巻市の武山翔平さん(震災当時19歳)は、津波で両親と祖父を失った。翔平さんには、高校生の妹・優希さんと中学生の弟・直樹君がいる。「普通の暮らしができれば、何も望まない。最低限、弟と妹を育てていきたい。それが親孝行になると思う」。2人の父親代わりになることを決めた翔平さん。優希さんと直樹君は、いったんは石巻市内に住む伯母に引き取られたが、翔平さんは20歳になると、2人の未成年後見人になった。法律上の親になったのだ。◆そして、震災から1年。3人は古里を離れ、仙台市内のアパートで暮らし始めた。翔平さんと同じ大学に進学し、授業とアルバイトに忙しい毎日を送る優希さん。転校し、新しい一歩を踏み出した直樹君は、高校受験が控えている。翔平さんは、就職活動の真っ只中。2人を残して宮城を離れることはできないため、転勤の無い県内企業への就職を目指す。◆家族とは、兄弟とは、生きるということとは…。ある日突然、かけがえのない家族を奪われた子どもたち。親がいない現実と向き合いながら、両親の思い出を胸に、支え合って生きる兄弟の2年間の記録。


cinematic_blurドキュメンタリーondemand_video報道・時事tvテレビ番組