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テレビ番組

テレメンタリー2013 “3.11”を忘れない32 3人で生きる ~震災孤児 兄弟が歩んだ732日~

番組ID
207243
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放送日時
2013年03月27日(水)01:15~01:45
時間(分)
26
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
ondemand_video
報道・時事
放送局
東日本放送(KHB)
製作者
東日本放送(KHB)
制作社
東日本放送(KHB)
出演者
語り:奥貫薫
スタッフ
題字:千葉清藍、タイトル:村上大介、音響効果:片山由理、MA:井上滋、撮影:須田義一、編集:須田義一、ディレクター:渋谷遊野、プロデューサー:藤井尚弘、制作:加藤東興
概要
2011年3月11日。東日本大震災の巨大津波は、子どもたちから親を奪い、多くの遺児・孤児を生み出した。両親とも死亡または行方不明となった孤児は、宮城・岩手・福島の被災3県で241人に上る。子どもたちは震災とどう向き合い、どう生きてきたのか。◆宮城県石巻市の武山翔平さん(震災当時19歳)は、津波で両親と祖父を失った。翔平さんには、高校生の妹・優希さんと中学生の弟・直樹君がいる。「普通の暮らしができれば、何も望まない。最低限、弟と妹を育てていきたい。それが親孝行になると思う」。2人の父親代わりになることを決めた翔平さん。優希さんと直樹君は、いったんは石巻市内に住む伯母に引き取られたが、翔平さんは20歳になると、2人の未成年後見人になった。法律上の親になったのだ。◆そして、震災から1年。3人は古里を離れ、仙台市内のアパートで暮らし始めた。翔平さんと同じ大学に進学し、授業とアルバイトに忙しい毎日を送る優希さん。転校し、新しい一歩を踏み出した直樹君は、高校受験が控えている。翔平さんは、就職活動の真っ只中。2人を残して宮城を離れることはできないため、転勤の無い県内企業への就職を目指す。◆家族とは、兄弟とは、生きるということとは…。ある日突然、かけがえのない家族を奪われた子どもたち。親がいない現実と向き合いながら、両親の思い出を胸に、支え合って生きる兄弟の2年間の記録。

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