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テレビ番組

NNNドキュメント’14 無言の語り部 ヒバク遺品は訴える

番組ID
208002
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放送日時
2014年08月04日(月)00:50~01:20
時間(分)
25
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
広島テレビ放送(HTV)
製作者
広島テレビ放送(HTV)
制作社
広島テレビ放送(HTV)
出演者
ナレーター:杉本るみ
スタッフ
撮影:難波伸一、音声:守木悠、編集:道閑慎一、美術:山本幸、ミキサー:浜口崇、音響効果:中村胤貴、ディレクター:長島清隆、プロデューサー:佐藤宏
概要
被爆者・平野隆信さんが床の間に飾っているもの。それは古びた「やかん」だ。69年前、被爆死した父の遺骨を、自宅の焼け跡で見つけたやかんに入れ、疎開先に持ち帰った。今、平野さんはこのやかんを広島市の原爆資料館に寄贈するか悩んでいる。◆原爆資料館は2014年から4年がかりのリニューアル工事を開始。目的は「現物資料の充実」だ。爆風でボロボロになった衣服など、実際に被爆した資料の“実物展示”が、これまで以上に増える。被爆者が高齢化する中、物言わぬ語り部として、資料は重要な役割を担う。◆一方で、平野さんたち持ち主には形見を手元に置いておきたい気持ちもあり、寄贈するかの葛藤が続く。現物資料の充実で原爆資料館はどう変わるのか、遺族や被爆者はどのような思いで資料を託すのか。被爆者と変わろうとする資料館の課題を追った。
放送ライブラリー以外で視聴可能な施設

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