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テレビ番組

チャンネル4 黒帯の品格 柔道事故「有罪」が問うもの

番組ID
209308
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2014年05月31日(土)09:30~10:25
時間(分)
47
ジャンル
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ドキュメンタリー
放送局
テレビ信州(TSB)
製作者
テレビ信州(TSB)
制作社
テレビ信州(TSB)、マウント、クロステレビ
出演者
ナレーター:伊東秀一
スタッフ
編集:藤塚隆、MA:渡辺一郎、タイトル:鈴木聡哉、ディレクター:征矢野泉、制作:平坂雄二
概要
2014年4月、長野地方裁判所。元柔道指導者に言い渡された判決は禁錮1年、執行猶予3年。検察が二度も不起訴とした柔道事故を検察審査会が強制起訴した異例の裁判は、全国初の有罪が確定した。6年前、松本市の澤田武蔵さん(当時小学6年生)が柔道教室の練習中に投げ技を掛けられて負った重い障害は、頭を打たなくても重大な事故になる可能性が認められた。番組では、判決が柔道指導の在り方にどんな一石を投じるかを考える。車椅子生活の武蔵さんは17歳になった。

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