テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

NNNドキュメント’12 3・11大震災シリーズ おかえりが言えるまで

番組ID
207239
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2012年09月10日(月)00:50~01:20
時間(分)
25
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
ondemand_video
報道・時事
放送局
宮城テレビ放送(MMT・ミヤギテレビ)
製作者
宮城テレビ放送(MMT・ミヤギテレビ)
制作社
宮城テレビ放送(MMT・ミヤギテレビ)
出演者
ナレーター:小山茉美
スタッフ
題字:柿沼康二、撮影:小向伸、撮影:島香望、編集:鎌田勝一郎、テロップ:佐々木昭信、タイトル:玉川哲也、ミキサー:浜口崇、音響効果:番匠祐司、ディレクター:佐々木博正、プロデューサー:渡邊司
概要
宮城県気仙沼市の鹿折地区は、東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた。この地区の“顔”と言われた商店街の一角に、創業93年の「すがとよ酒店」があった。菅原文子さんは店舗と家を兼ねたこの場所で、夫の豊和さんや息子たちと暮らしていた。◆2011年3月11日。家族8人が店にいた。強烈な揺れの後に押し寄せた大津波。豊和さんは家族に避難を促し、一人店に残ろうとしていた。2階の住居にいた文子さんは、豊和さんを助けようと階段を駆け下り手を伸ばした。豊和さんはその手をすり抜けて津波に流され、行方不明になった。◆3ヶ月後。文子さんは遺体が見つからぬまま、夫の死亡届を出した。それでも待っていた。時が経つにつれ、夫への思いが募った。文子さんは昔から好きだった「手紙」に帰らぬ夫への思いを綴った。◆2012年1月。鹿折地区では復興に向け被災建物の解体が進められていた。「すがとよ酒店」も解体の日を迎えた。夫婦の全てが詰まった店の解体。文子さんは心の中で何度も“ありがとう”とつぶやいた。そして、2012年6月。文子さんに突然の知らせが届く。

同じ年代の公開番組

NNNドキュメント’12 3・11大震災シリーズ 遠きフクシマの故郷 ~さまよえる家族たち~

愛知県で避難生活を続ける大沼勇治さん夫妻に長男が誕生したのは、避難から間もない2011年6月だった。故郷・福島県双葉町を知らずに育つ息子のために、夫婦は原発から4kmにあって警戒区域に指定されたままの自宅へ一時帰宅を繰り返し、カメラで記録し続けている。勇治さんはある場所にこだわりがあった。そこに掲げられた「原子力 明るい未来のエネルギー」は小学6年生の時に作って表彰された標語。原発事故は勇治さんに重荷を背負わせることとなった。原発とともに歩み、帰還の目途も立たない故郷…。標語の作者として複雑な思いが交錯する。◆福島県郡山市は避難区域には指定されなかったが、放射線量が高い場所もあり、住民は不安に揺れた。中村美紀さんは3人の娘を連れ、山形県に避難した。夫は仕事があり、生活維持のため、郡山に残った。離れて暮らす家族の経済的負担は重い。山形まで車で3時間の道を夫が来てくれるのは月1、2回。3人の育ち盛りの娘を抱えながら、日々の不安と悩みを夫と分かち合えないことが辛い。山形に避難した家族は1万人以上。美紀さんは同じ境遇のママたちが集まれる会を立ち上げたが、長引く避難生活に、福島に戻ろうという人も増え始めてきた。子供の学校の心配、住宅ローンなど経済面の理由もあるが、何より家族一緒にいたいという願いからだ。◆東日本大震災、原発事故から1年9か月。奪われた家族の日常と故郷で暮らす平穏な日々。それらを取り戻すには道のりはまだ遠く、道筋もはっきりとは見えない。


cinematic_blurドキュメンタリーondemand_video報道・時事tvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.