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テレビ番組

FBCスペシャル2012 共生の苦悩 ~福島第一原発事故から1年~

番組ID
207444
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放送日時
2012年05月24日(木)09:55~10:50
時間(分)
48
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
福井放送(FBC)
製作者
福井放送(FBC)
制作社
福井放送(FBC)
出演者
ナレーター:岩本和弘
スタッフ
編集:藤田大樹、美術:寺前伸治、ディレクター:町雄介、プロデューサー:藤井明博、チーフプロデューサー:秋野範夫
概要
福島第一原発の事故は国内最多の14基の原発が立地する福井県にも大きな衝撃を与え、事故から1年が経った今も原発と共生してきた住民の心を揺さぶっている。◆運転開始から40年が経過した原発がある福井県美浜町。古い原発を廃炉にして、新しい原発を造るリプレース構想が浮上していた。地域はこの先も半世紀にわたって原発と共生していくかどうか、将来を見据え始めた矢先に福島の事故が起き、住民は改めて「原発のリスク」を見せつけられた。将来が見えない不安に加えて、脱原発依存を打ち出した国に対するやりきれない思いも漂う。◆いずれも海岸沿いの過疎地に造られてきた原発。敦賀半島の先端にある集落には、高速増殖炉「もんじゅ」がそびえ立つ。陸の孤島と言われた集落には道路や港が出来て、原発は若者の働き場所となった。集落に暮らすお年寄りの記録には「過疎からの脱却」と「国策への協力」の文言が残っている。原発との共存共栄でふるさとを発展させようとした地域の思いがにじむ。◆福島の事故を受けて、停止した原発の再稼働はストップした。福井県内でも33年ぶりに「原子の灯」が消えた。地域経済や雇用など、原発と生活が密接な関わりも持つ立地地域には大きなダメージとなる。定期検査中に原発の作業員を受け入れる宿泊業者も今後への不安を隠せない。一方、早期の再稼働を求める地元の建設業者は「我々がカネの亡者ように見られるのは悲しい」と呟いた。◆40年余り原発と共生してきた地域の思いをよそに、原子力に対する批判は高まり、電気を送り続けてきた関西の消費地からも原発再稼働に対する反発の声が上がる。原発に対する不安や、原発と生活が深く関わる現実、それに電力供給を担ってきた自負など、様々な思いが交錯し、自問自答を続ける地元住民の姿を追う。

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