テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

あのシーンをもう一度 ~YTSが見つめた山形40年~ / 山形テレビ開局40周年特別番組

番組ID
205353
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2010年12月30日(木)16:30~17:30
時間(分)
48
ジャンル
ondemand_video
報道・時事
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
山形テレビ(YTS)
製作者
山形テレビ(YTS)
制作社
山形テレビ(YTS)
出演者
スタッフ
編集:茂木貴、ディレクター:大塚大介、プロデューサー:大塚大介
概要
1970年(昭和45)4月1日に山形県の2局目の民間放送局として誕生したYTS山形テレビの開局40周年記念番組。山形テレビが所蔵する膨大な映像記録の中から、時代を映し出すシーンを選びながら40年を振り返る。案内役は、YTS開局の年に生まれた石澤智幸(テツandトモ)。◆取り上げる話題は「谷地ひな市」「サクランボ娘」「47インターハイ」「蔵王樹氷まつり」「日本海中部地震」「人面魚フィーバー」「たまげた駅伝」など。また山形駅や駅前、七日町通りの移り変わりを、現地取材を交えて伝える。

同じ年代の公開番組

刑事定年〔9〕 娘の婚約者

主人公・猪瀬直也は定年退職したばかりの元刑事。在職中は現場一筋、家庭を全く顧みなかった直也だが、定年後は再就職せず、妻との平穏な時間を大切にしたいと考えていた。しかし、実際に彼を待っていたのは思い描いていたような日々ではなかった。敏腕刑事の定年退職後に待ち受けていた生活とは?…彼はもう、刑事ではない。BS朝日開局10周年記念ドラマ。(2010年10月27日~12月29日放送、全10回)◆第9回「娘の婚約者」。ついに直也(柴田恭兵)の娘・真紀(田丸麻紀)が、婚約者を家に連れてくる日がやって来た。娘が選んだ男に会えるのを楽しみにしている妻・早季子(浅田美代子)とは対照的に、男が結婚相手として相応しいかどうかを見極めてやろうと神経質になっている直也。そこに現れた婚約者・高樹隆史(TETSUYA)は、言葉の遣い方もろくに知らないイマドキの若者で、甲斐性のないミュージシャン風情の男だった。もしかしたら結婚詐欺ではないかと多田野(金田明夫)から忠告された直也は、隆史の正体を見極めるために早季子と真紀を買い物に行かせ、ただ一人で隆史と対峙する。そこにヤクザの親分・大場(山田明郷)らも駆けつけて隆史の化けの皮をはがそうと質問攻めにするうち、ついに直也の怒りも頂点に達する。


recent_actorsドラマtvテレビ番組
テレメンタリー2010 切り捨てられた被爆 ~残留放射線の闇を追って~

2008年6月、愛知県知多市の甲斐昭さんは支援者たちが見守る中、入院先の病床で長年苦しんできた甲状腺悪性リンパ腫を「原爆症」と認める厚生労働大臣の認定証を受け取った。◆海軍の潜水学生だった甲斐さんは、原爆が投下された広島市に駆けつけて被爆した。すぐに放射線による急性症状と同じ、下痢や脱毛に見舞われた。そして数年後に悪性リンパ腫を発症し、13回の手術を繰り返してきた。◆「傷痍軍人と同じ」と甲斐さんは訴える。原爆の放射線は、爆発から1分以内の「初期放射線」と1分以後の「残留放射線」に分けられている。甲斐さんのように、残留放射線の影響しか受けていない被爆者の原爆症を、国は認めてこなかった。◆甲斐さんは原爆症認定集団訴訟の原告1号として国を提訴し、1審で勝訴、集団訴訟は全国に広がった。裁判で連敗した国は検討会を設け、2008年4月、ついに認定基準を改定し、甲斐さんの病気を原爆症と認定した。◆それにも関わらず国は、裁判では甲斐さんの原爆症を強固に否定。甲斐さんの症状は、感染症やストレスによるもので、残留放射線による被爆の影響ではないと主張し続けた。◆番組は、被爆者を始め日米の科学者、米国の核実験の元責任者と被害者、元国防長官らの証言を積み重ねるとともに、闇に葬られてきた調査結果などを分析し、そこから見えてくる「被爆国」日本の顔を追い求める。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
Home ~僕が田舎暮らしを始めた理由~

大家族から核家族へ、そして結婚しない人たちと、戦後、日本の家族の形は大きく変わり、もはや「一般的な家庭」の定義があいまいになりつつある。果たして、一般的な家族とはどんな形なのか…。「団塊世代」の父と仕事を持つ母、そして引きこもりの息子。高度経済成長期を東京の高島平団地で過ごした、ある家族の小さなドラマを3年間にわたって追いかけたドキュメンタリー。◆大学受験に失敗した純一さんは3年間、東京都板橋区高島平団地の部屋で引きこもりがちの生活を送っていた。そして純一さんの父、政男さんが定年退職を機に福島県小野町での田舎暮らしを決意。純一さんは「なんとなく」父との田舎暮らしを決めた。一方、母、令子さんは1人で高島平団地に残ることを決めた。30年間続けてきた保育士の仕事と年老いた実父の介護が理由だ。◆会話さえなかったという父子の田舎暮らしは悪戦苦闘の連続。失われた時間を取り戻す父とたくましく成長する純一さん。家族が離れ離れになって2年が経とうとしたころ、東京で1人暮らしを続けていた母がうつ病と診断された。孤独やストレスが原因だという。死ぬことも考えたという母に、純一さんは…、そして家族は…。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組