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テレビ番組

発見!人間力 私、八百屋です。先生やってます。

番組ID
204806
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放送日時
2010年01月08日(金)10:50~11:20
時間(分)
27
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
福井放送(FBC)
製作者
福井放送(FBC)
制作社
福井放送(FBC)、民間放送教育協会
出演者
ナレーション:岩本和弘
スタッフ
撮影:山内明、編集:山内明、ディレクター:中村友紀、プロデューサー:井上寿美枝、制作:福本実
概要
ワゴン車に野菜を積み込んで売り歩く、移動八百屋をしている川合久利子さん。教員免許をもっている川合さんは、元々美術教師になるのが夢だった。◆5年前、川合さんはFBC福井放送制作の「夢を叶える事を応援する番組」がきっかけで、母校の中学校で1日教師を体験した。その後、川合さんの模擬授業の内容に惚れ込んだ校長先生から「番組とは関係なく学校に来てほしい」と熱望され、週1回で1年間、母校へ講師として通った。◆見た目は美人だけど、話すと近所のおばちゃん。普通の先生と違って「地域のおばさん」で「人生のちょっと先輩」的な存在として、子どもたちと関わることができる川合さん。彼女の評判を聞いたあわら市教育委員会から声がかかり、いまは中学校で週2日の美術講師を務めている。番組では川合さんと生徒の交流を追う。

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TSS報道特別番組 刻みつけられた地獄 最初で最後のヒロシマPTSD調査 “Scars of Hell: The First and Last Hiroshima PTSD Survey”(英語字幕版

2010年、広島市が発表した被爆者の精神的な状態に関する大規模な調査報告から、現在も被爆者の1~3%が、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を抱えていることが明らかになった。被爆者で原爆資料館のガイドボランティアの白石多美子さん71歳は、ガイド中に強烈な「匂い」に突然襲われることがある。臨床心理士による検査の結果、白石さんは軽度のPTSDで、「匂いの再来」は、フラッシュバック症状のひとつだとされた。熱線で皮膚が垂れ下がった人々、水を求めて死んでいった人という悲惨な光景、そしてその場の匂いは、当時6歳だった少女の脳裏に強烈なトラウマとして刻みつけられたのだった。ほかに、逃げる自分を追いかける「キノコ雲」のフラッシュバックに怯え続ける72歳の男性の苦しみや、悪夢を恐れ、睡眠薬を飲み続ける84歳の女性など、被爆後65年が経過してもなお、当時の惨状の記憶に苦しむ被爆者たちを取材。被爆者の高齢化が進む中、最初で最後といわれている大規模なPTSD調査をきっかけに、これまで置き去りにされてきた、被爆者の心の傷の深さに迫る。(英語字幕版)


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