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テレビ番組

WATCH ~真相に迫る~ 洋次郎の4000日 ~被爆証言バーテンダーの遺言~

番組ID
212739
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放送日時
2017年07月30日(日)00:55~01:25
時間(分)
26
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
広島テレビ放送(HTV)
製作者
広島テレビ放送(HTV)
制作社
広島テレビ放送(HTV)
出演者
ナレーター:糸永直実
スタッフ
撮影:日野知行、編集:日野知行、音声:細川善隆、デザイン:荒田未来、ディレクター:糸永直実、プロデューサー:岡田純一郎
概要
冨恵洋次郎さんは1978年生まれで、祖母が原爆の被害を受けた被爆3世である。しかし、子どもの頃は、平和学習や原爆の話に真剣に耳を傾けたことはなかった。その後、大学を中退し、憧れていたバーで働き始めた頃、客から出身地を聞かれ「広島」と答えると「原爆がうつる」と思わぬ言葉が返ってきた。怒るというより悲しく何も言えなかった。その時から自分が原爆について知るべきだと考えるようになる。そして26歳の時、被爆者から直接話を聞く“被爆証言を聞く会”を始めた。この会は原爆投下の8月6日を忘れまいと毎月6日の夜に開かれ、これまで100回以上開催している。しかしそんな中、洋次郎さんは肺がんと診断され、余命2か月の宣告を受ける。それでも“被爆証言を聞く会”を止めることはなく、洋次郎さんが旅立った後も続けられている。なぜ続けることにこだわったのか。“平和”と“継承”をテーマに、バーテンダー洋次郎の4000日の活動を描く。

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