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ニュース映画

毎日世界ニュース 402 発明時代

番組ID
N00754
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上映日
1959年04月22日(水)
時間(秒)
166
カテゴリ
社会
概要
4月8日は発明の日。1959年も全国から81件、100人の人々が表彰された。盛んな発明熱を反映して、特許庁に持ち込まれる出願件数だけは世界一流だが、審査員が実際に試験してみなければ納得出来ないものも多いようだ。新発明の電話自動受信器は、外出中でも電話が先方の要件を録音して置いてくれる装置である。発明者の橋本さんは、量産を目指して研究を続けている。星野博士が発明した話題のシンクロリーダー。この成功によって、音の出る新聞が出現した。革命的な発明として既に大量生産が開始された。街の発明家のために作られた発明学校では、ブームに乗り遅れまいとサラリーマンや街のオバサンたちが、大発明が出なくともチョットしたアイデアを生かそうと、身近な日用品の改良を目指して熱心に勉強している。舞台の合間に、楽屋でお弟子さんを使って新作の機械の試運転をする柳家金語楼師匠も、街の発明家の一人である。そば屋の当麻さんは、商売よりも好きと今日も部屋に閉じ込もって発明工夫に熱中している。作品はすべて実用化するのがモットーで、お手製の運搬器にお手製のそばをを積んで、颯爽と街をゆく新時代のそば屋さんだ。

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毎日世界ニュース 437 1959年の表裏

1959年のニュース総集編。日本では皇太子さまの御成婚、清宮さまの御婚約と皇室ブームが起こった。ミス・ユニバースに児島明子さん。東京オリンピックの決定。山中毅、田中聰子の両選手はまたも世界記録を樹立。経済界は岩戸景気、特急「こだま」はスピード世界記録となかなか華やかなニュースがあった反面、不況の石炭界。国鉄志免炭鉱では民間払い下げに対して激しい闘争がおき、三池炭鉱も大量首切りで大きく揺れたまま年を越そうとしている。中小企業のストも目立って増え、労使の激突のすえ田原製作所では犠牲者も出た。災害も多く、中でも台風15号は空前の猛威をふるって東海地方を襲い、多くの被災者を生んだ。天災か人災か、死者行方不明5千名を出した伊勢湾台風は、防災のあり方に大きな疑問を投げかけた。知事選挙・参議院選挙の両選挙に勝った岸内閣、池田勇人を加えて内閣改造をした後に安保改定を打ち出したが、多くの批判を浴びた。これを機会に右翼があちらこちらに顔を出した。こうした中、最高裁は10年間揉め続けた松川事件に裁判やり直しの判断を下した。社会党大会は西尾末広除名をめぐって分裂し西尾新党が誕生した。この間、1機3億円のロッキード、1発140万円のサイドワインダー、にわとり3羽で200億円のベトナム賠償などを多数の力で押し切ってきた与党は、ついに国会デモ乱入事件を招いた。全学連の葉山岳夫・清水丈夫は抵抗のすえ逮捕された。注目された砂川判決は、米軍の駐留は違憲ではないとの結論となった。隣の中国では建国10年の歩みを祝った。また韓国側の反対で揉めた北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)帰還も、ついに船出した。しかし韓国からは依然抑留漁師が帰らなかった。国際政治はダレス長官の死で大きく変わった。フルシチョフ首相がアメリカを訪問し、続いてアイゼンハワー大統領が11ヵ国訪問の旅に立ち、西欧の首脳を集めて東西和解の道を求めた。いよいよ1960年の4月フルシチョフ首相を迎えて、東西首脳会談実現の運びとなった。


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毎日世界ニュース 418 波紋投げた原爆記念日

東京から、新潟から、そして、南の果て与論島から始った1000万人の平和行進は、1959年8月4日、目的地の広島に到着した。3コースの団長たちは真っ黒に日焼けした顔で、感激の握手を交わした。一方、全日本学生自治会総連合の学生たちも続々と到着。安保条約改定反対を掲げて世界大会に参加した。こちらは大会に背を向けた右翼の連中。ニセの平和大会をぶっ潰せと原水爆禁止日本協議会の安井郁理事長にねじ込んだ。また、ソビエト代表にも「帰れ帰れ」と食ってかかる狼藉ぶりで、折角の世界大会も、とんだ邪魔が入った。一方ではイギリスや西ドイツ代表が、核武装反対で西ヨーロッパだけを非難すると、大会に不満を抱いて脱退するなど思わぬシコリを残した。こうした中で迎えた1959年8月6日、新たに187名の死亡者を加えた原爆慰霊碑の前に、2人の遺児が花輪を捧げ、悲しみも新たに3万人の参加者は深く頭を垂れて犠牲者の冥福を祈った。この時、頭上を旋回する飛行機から、またも心ない右翼の宣伝ビラ「ニセの大会にだまされるな」が撒き散らされた。しかし広場にはこの雑音もよそに、深い悲しみと平和への祈りが静かに流れていた。右翼の連中もさすがに気がとがめるのか、警官に後を付けられながら神妙に黙祷を捧げた。こうして色々と波紋を投げた原水爆禁止世界大会も、1959年8月7日、安井理事長が読み上げるヒロシマアピールを最後にその幕を閉じたが、年毎に派手になって来た世界大会の陰には、被爆者の切々たる訴えも聞かれる。そして8月9日、原爆第2号の地長崎でも平和への祈りが捧げられた。これが14年目を迎えた広島と長崎の原爆記念日の表情であった。


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毎日世界ニュース 423 安保改定を前に 勤評から西尾問題まで

1959年9月8日、日教組(日本教職員組合)は勤評(勤務評定)反対の統一行動を全国に展開。東京では文部大臣に会見を求めたが門を閉ざして面会謝絶。安保条約改定阻止と勤評反対闘争は表裏一体だと気勢を上げたが、教育委員会との団体交渉も物別れとなって、泥沼から一歩もはいあがれない。同じ日、基地砂川町では安保改定阻止の中央大会が開かれ、米軍の駐留は憲法違反であるという東京地裁の判決を支持するデモが、夜の更けるまで続いた。1959年9月9日、ダレス長官の追悼式には吉田茂元首相をはじめ、岸信介総理、マッカーサー米大使ら多数が参列して、安保条約の生みの親ダレス氏を偲んだ。8年前のこの日、サンフランシスコにおいて講和条約および安保条約が調印されたのである。この抱合わせの両条約をめぐって、社会党は講和条約賛成、安保条約反対の立場をとる右派と、両条約に反対する左派が激しく衝突、ついに分裂の憂き目を見るに至った。あれから8年、社会党青年部大会は、議場混乱のうちに西尾末広氏の除名を絶対多数で決議した。こうした中で1959年9月12日、第16回社会党大会を迎えたが、安保闘争に対する西尾氏の言動が党紀に反すると詰め寄る左派と、受けて立つ右派が真向から対立して、冒頭から荒れ模様。大会運営委員会では、決議案をめぐってつかみ合いをする騒ぎ。結果は「西尾氏を統制委員会に付議する決議案」を大会に上程することになった。西尾氏の弁明と、河上丈太郎氏の決議案反対表明に続いて投票に入り、決議案は可決された。こうして社会党は西尾氏の去就をめぐって、統一以来最大の危機を迎えた。


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