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テレビ番組

NNNドキュメント’21 遺族とマスコミ 京アニ事件が投げかけた問い

番組ID
217009
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放送日時
2021年07月19日(月)01:05~02:00
時間(分)
46
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
読売テレビ放送/讀賣テレビ放送(YTV)
製作者
読売テレビ放送/讀賣テレビ放送(YTV)
制作社
読売テレビ放送/讀賣テレビ放送(YTV)
出演者
報告:前川優也
スタッフ
撮影:大中一、編集:秋山進吾、イラスト:竹本佐治、EED:下林高幸、音響効果:久保秀夫、MA:久保秀夫、取材:前川優也、プロデューサー:吉川秀和、チーフプロデューサー:堀川雅子
概要
2019年7月18日、京都アニメーション(京アニ)のアニメーター36人の命が奪われた。犠牲者の津田幸恵さんの父・伸一さんなど、実名で家族の生きた証を語る遺族がいる一方、遺族の多くは実名報道と取材を拒否する意向だった。匿名を条件に取材に応じた遺族の1人は、実名報道で苦しんだ現実を切実に訴え、遺族とマスコミの考えの差が浮き彫りとなる。さらに、ジャーナリズムの教鞭をとる大学教授が行った実験では、社会が抱くマスコミへの厳しい認識が明らかになった。2004年に長崎県の小学校で起きた事件にも目を向ける。当時毎日新聞記者の御手洗さんは、事件で娘を亡くした。その御手洗さんを支え続けてきた川名記者と、御手洗さんの二男は、遺族とマスコミの関係性を冷静に語る。それは京アニ事件の遺族へのメッセージのようだった。遺族の意向は、単なるマスコミ嫌悪ではない。むしろ、“未来への提言”と受け止め、遺族とマスコミのより良い姿を模索する。

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