テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

ふたり、時々、無人島

番組ID
211667
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2016年05月02日(月)01:50~02:44
時間(分)
47
ジャンル
school
教育・教養
放送局
長崎放送(NBC)
製作者
長崎放送(NBC)
制作社
長崎放送(NBC)、プロダクションナップ
出演者
ナレーション:染矢すみれ
スタッフ
タイトル:中原景雲、美術:山口正記、美術:松永舞利菜、MA:光山耕二、撮影:伊達木博史、編集:伊達木博史、ディレクター:宮路りか、プロデューサー:大田壽満夫
概要
長崎県五島列島の黒島は、福江の南方沖に浮かぶ、面積12平方キロの小さな島である。島に暮らすのは96歳の母親山中ヨネさんと67歳の娘山中マサ子さんのたった二人。長崎県は全国で最も島が多いが、おそらく、黒島は無人島に一番近い島だ。かつては子だくさんの家が多くあり、ピーク時の人口は200人を超えていた。しかし人口は減り続け、今では親子二人きり。食料は週に1度、定期船で富江に仕入れに出かけるが、出来あいのものが中心。それが二人にとって小さな楽しみになっている。そして、二人が出かけるこの火曜日の数時間、島は無人島になる。朽ち果てていく小学校の跡、まだ人が暮らしていそうな民家。ふたり、時々、無人島。二人だけの島の暮らしを見つめた。

同じ年代の公開番組

シリーズ輝石の詩 カバチェッポ ~天空の湖に姫鱒を~

秋田、青森の両県にまたがる十和田湖は、2度の火山噴火でできた二重カルデラ湖で、湖面の標高は400mに位置する。このため人々は「天空の湖」と呼んだ。その美しさから十和田湖は北東北有数の観光地として知られる。十和田湖の名物が「ヒメマス」。その味は「マス、サケ類で一番」という人もいるほど。湖畔のホテルや土産物店では刺身や塩焼き、フレンチで提供している。それはどれも「姫」の名がつくにふさわしい上品な味わいで人気を集めている。◆明治初期まで十和田湖は、魚が住まない、住むことができない湖とされていた。湖畔の人々は、十和田湖の神・青龍権現が「生魚を嫌うから」と信じていたという。その十和田湖で半生をかけ、苦労を重ねながらもヒメマスの孵化、放流事業を成功させた男がいる。秋田県鹿角市出身の和井内貞行。和井内の功績は小中学校の教科書の題材にもなった。湖畔に面する秋田県小坂町では、明治の芝居小屋「康楽館」(国重要文化財)で、和井内を題材にした芝居を上演した。江戸期の伝統的な歌舞伎小屋の機能をふんだんに活用し、訪れた観客を楽しませながら、和井内の功績を多くの人に伝えたのだ。◆今も十和田湖の漁協では、ヒメマスの卵を採り、孵化して放流する事業を引き継いでいる。作業に携わる漁師たちには「和井内の思いを継がなくてはならない」という思いがある。番組では、ヒメマスの春の放流から秋の捕獲・採卵、冬の孵化までの一連を、四季折々に表情を変える十和田湖畔の美しい自然をと共に伝える。「カバチェッポ」はヒメマス(姫鱒)を意味するアイヌ語。シリーズ輝石の詩・file.10。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
どーんと鹿児島 ぼくの、メリット

家族団らんの夕食の時間に姉から、「友達いないでしょ」、「学校に行かないって最悪」と厳しい言葉を投げつけられた久永航希(15歳)。家に閉じこもってゲーム三味、昼夜逆転の生活を送っていた。航希は中学生の時から学校に行かなくなった。先生が嫌いで、同級生との関わりも苦手。「学校来いよと言われる度に、僕が学校に行って皆に何の“メリット”があるのか」と思った。常に感じるのは「自分はいなくても同じ」という空虚感である。どうにか生活環境を変えようと、母親の美代さんが決断したのは、鹿児島市からフェリーで10時間の小さな島、悪石島への移住だった。島の住民は約70人で、独特の風習が色濃く残り、共同作業を大切にしている。無表情で無口、人との関わりも苦手な航希にとっては不安だらけだった。島には高校がないため、鹿児島市の通信制高校に入学したが、中学生の時と状況は変わらない。レポートの未提出が原因で、単位取得に必要な受験資格も得られない。航希は悪石島で自分の居場所を見出すことはできるのか、不登校になった少年が踏み出す新たな人生を見つめた。新たな人生を見つめた。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
FBCスペシャル2016 福と福と復 ~震災避難5年目の決断~

川崎葉子さんは、いわゆる“元気なおばちゃん”。福島弁で初対面の人とも、すぐに打ち解け仲良くなる。川崎さんの人生は福島第一原発事故で一変した。原発からわずか3キロにある自宅から一家4人で知人を頼って福井県に避難してきた。この避難生活待ち受けていたのは、乏しい情報と支援の少なさ。一時帰宅の情報を知ったのは締め切りから随分経ってからだった。「こんなときだからこそ、力を合わせよう。」川崎さんは「FFF(フフフ)の会」を立ち上げ、避難者の交流と結束を呼び掛けてきた。生活が落ち着くにつれ、故郷への思いに変化も。川崎さんの自宅は福島県双葉町で国の中間貯蔵施設の予定地となった。復興が全く進まず変わり果てた故郷の姿を眺めるうちに、避難生活が5年目に入った頃、「福島に戻って何か恩返しを」と考えるようになった。福井でどん底の暮らしを支えあった仲間たちも徐々に福島に戻り、川崎さんは5年を節目に、故郷に戻る決断をした。避難先の第2の故郷・福井で強まった絆。自問自答を重ねた故郷・福島への思い。復興を願いながら走り続けた川崎さんの5年間を追った。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組