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テレビ番組

ホルスタインと落下傘 ~秋田・戦後開拓70年 若者の選択~

番組ID
210204
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放送日時
2016年02月27日(土)14:00~14:55
時間(分)
45
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
秋田放送(ABS)
製作者
秋田放送(ABS)
制作社
秋田放送(ABS)
出演者
ナレーター:湯浅真由美
スタッフ
ミキサー:浜元瑞樹、音響効果:番匠祐司、ディレクター:宮川拓実、プロデューサー:石黒修
概要
酪農で生きる秋田県鹿角市田代平。真冬の積雪は2m以上、風をさえぎるものは何もない。標高600mの原生林を切り開いた戦後開拓の集落だ。78歳の小林一さんは旧満州生まれ。終戦後、命からがら帰国した小林さん一家は、国の戦後開拓事業に応募し、田代平に入植した。一さんの孫・小林大峰さんは、この地区で最も若い農業後継者である。◆23歳の大峰さんは、北海道の高校を卒業して酪農の仕事に就いた。エサの高騰と乳価の低迷で苦しい経営を強いられているが、同じ地区の人たちと独自ブランドの「十和田高原牛乳」を売り出して、生き残りを目指している。◆地元の冬季分校で学んだ大峰さんには、たった一人の同級生がいる。その同級生・小川隼人さんは、酪農を継がずに自衛隊員になった。陸上自衛隊の精鋭・パラシュート部隊で、有事に備え厳しい訓練に明け暮れている。◆政府の円高政策に伴うエサの高騰とTPPの影響で、厳しい経営を迫られる酪農家。集団的自衛権の行使容認で、新たな対応を迫られる自衛隊員。番組では、国策のムラで生まれ育った2人の若者の生き様を追う。

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