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テレビ番組

きせき ~想いがつなげた名松線~

番組ID
211512
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放送日時
2016年05月23日(月)15:20~16:15
時間(分)
51
ジャンル
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ドキュメンタリー
放送局
三重テレビ放送(MTV)
製作者
三重テレビ放送(MTV)
制作社
三重テレビ放送(MTV)、東海ゼロ企画
出演者
ナレーション:山口未翼
スタッフ
撮影:深田満彦、撮影:藤川拓也、撮影:大村和弥、撮影:清原寿之、音声:高田真一、音声:神余浩司、CG:豊田睦子、編集:山本章悟、MA:奥村渉、ディレクター:山口未翼、プロデューサー:山鹿克己、制作統括:小川秀幸
概要
北海道新幹線が開通した2016年3月26日、三重県の小さな町では、JR名松線の6年半ぶりの全線復旧を祝って、地元住民や鉄道ファンが2両編成のディーゼルカーに手を振っていた。三重県松阪市と津市美杉町を結ぶ名松線は、2009年に台風被害で家城-伊勢奥津間が運休に追い込まれた。JR東海はこの区間の廃線とバスへの転換を自治体に提案したが、沿線住民は復旧への呼びかけや署名活動を行い、全線復旧を果たしたのだった。開通から81年を迎えた名松線は、地元の人たちの足であったと同時に、人々の人生に寄り添ってきた。名松線の開通式典に参加した岡野ミサさん(97歳)は、全線復旧が決まった1年前から1番列車に乗ることを決めていた。20年にわたり名松線を撮り続けてきた写真家は、運休中も沿線を訪れ撮影していた。80年以上もの間、地域を走ってきた列車の存在は、6年半という長い運休期間を経た今、地元住民に何を残したのか。名松線沿線を想う人たちの取材から探る。

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