テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

イタイイタイ病 全面解決の影で ある医師の闘いと置き去りにされたもうひとつの病

番組ID
209343
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2014年05月31日(土)15:00~15:55
時間(分)
52
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
チューリップテレビ(TUT)
製作者
チューリップテレビ(TUT)
制作社
チューリップテレビ(TUT)
出演者
ナレーター:涼風真世
スタッフ
構成:田沼悠一、撮影:森修、音声:山岸亮、CG:田口衛、MA:葛誠司、選曲:西本美由紀、取材:槙谷茂博、取材:宮城克文、制作統括:中村成寿、プロデューサー:服部寿人
概要
日本で最初に認定された公害病「イタイイタイ病」。2013年12月、長年にわたって補償問題を協議してきた三井金属と被害者団体が「全面解決の合意書」を取り交わした。しかし、病気認定から半世紀近くを経た“完全決着”の取材を重ねていくと、いくつかの疑問が見えてきた。◆賠償や医療補償の対象にすらならない多くの腎機能障害の患者たち。さらに、きわめて重篤な患者しか認定してこなかった行政の認定基準の不透明さ。これまで開示されなかった全面解決へのプロセスを明らかにするため、当事者たちを直接取材した。◆イタイイタイ病の100年にわたる歴史は、国、県、大企業の「権力」に翻弄された歴史だ。地縁血縁の強い地域社会では、反論や異を唱えることがタブーとされてきた。そして、あまりにも長い月日の流れとともに、患者やその歴史を知る人たちは高齢化し、世を去っている。◆全面解決に合意したこの時こそ、イタイイタイ病の歴史と背景を記録し、後世に残す最後のチャンスだと考え、制作された番組。勇気を出して取材に応じてくれた被害者家族の思い、25年にわたってイタイイタイ病の認定審査会に関わってきた医師が初めて明らかにした証言などを伝え、行政の被害者認定と患者救済の姿勢に一石を投じる。

同じ年代の公開番組

ユメ、カナウマデ ~アフリカ少年の挑戦~

世界最貧国といわれる西アフリカのブルキナファソで、野球に人生を懸けようとする少年たちがいる。その中の1人、サンホ・ラシィナくんの夢は「日本でプロ野球選手になる」こと。競技人口が200人と少なく、満足な道具や設備がないにもかかわらず、荒れ果てた赤土のグラウンドで毎日白球を追う。生きるだけで精いっぱいの生活をおくる彼らにとって、野球は「生きる希望」だ。◆2013年夏。15歳のラシィナくんは来日し、独立リーグの球団・高知ファイティングドッグスに練習生として参加、入団テストに挑んだ。言葉も通じない遠い異国の地。彼を支えたのは、支援物資としてもらったボロボロのグローブだけ。しかし、大きな壁にぶつかりながらも真摯にひたむきに取り組む彼の姿勢は、日本の若者が忘れかけている「がむしゃらさ」を印象付けた。◆ラシィナくんが必死で夢を追う背景には何があるのか、そして母国ブルキナファソの野球にどのような影響を与えていくのか。7カ月間の取材を通して「夢を持つこと・追うこと」の大切さを考える。4ちゃんスペシャル。RKC高知放送開局60周年記念特別番組。


cinematic_blurドキュメンタリーdirections_bikeスポーツtvテレビ番組
どさんこワイド179 みる・みる・みらいスペシャル 三笠高校

「みる・みる・みらい」をテーマに北海道の未来につながる“力”を応援するSTV札幌テレビ。夕方の情報番組「どさんこワイド179」のスペシャルウィークでは、長期取材してきた「北海道の未来を創る人々」を特集で紹介する。この回は、食のスペシャリスト養成学校として再出発した三笠市立三笠高校に密着する。◆旧産炭地の北海道三笠市。市立三笠高校は2012年4月に開校、北海道に初めてできた食の専門の公立高校だ。食のスペシャリストを目指して、料理の基本から、おもてなし、食文化までを学ぶ。現在、生徒は1年生と2年生を合わせて80人。元々は道立の高校で昭和40年代に生徒数は1600人以上であったが、石炭産業の衰退と共に過疎化が進み、2012年3月に廃校が決定した。しかし、三笠市は「料理の専門校として高校を残す」と決断。調理師やパティシエなどを目指す若者を地元以外からも呼び込み、街に活気を取り戻そうと考えた。この特集では、プロの料理人を夢見る若者たちの奮闘、街の物語や三笠市民との交流を伝える。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
カメラマン渡部陽一がたどる再会の旅路 秘境 大コーカサス山脈 ~チェチェン人の心と暮らし~

戦場カメラマン渡部陽一がグルジア(現ジョージア)にあるチェチェン人集落「パンキシ渓谷」を16年振りに再訪する。豊かな自然、穏やかな心と暮らし、にっぽんの原風景とも重なる地で、渡部の夢と原点に迫る。◆日本のテレビカメラが入ったことのない秘境・パンキシ渓谷。渡部陽一がこの地を訪れたのは、まだ無名であった26歳の時。熾烈を極めたチェチェン紛争を取材するためだった。約1ヵ月の滞在の中、渡部が目にしたのは、コーカサスの目を見張る大自然と、紛争で傷つきながらも民族としての誇りを守り、伝統的な暮らしを続ける高潔なチェチェン人の姿だった。◆番組では、当時“テロの巣窟”と世界中から非難を受けていたパンキシ渓谷を、16年の時を経て渡部が訪ねる。駆け出し時代の命の恩人たちと再会し、これまでの危険なイメージとは違った、紛争地から復興しつつある人々の姿を、渡部がジャーナリストとして取材する。また、マルコ・ポーロが「絵のように美しい」と語った首都トビリシの街並みや、美食の宝庫として知られるグルジア料理、日本のおもてなし文化に繋がるグルジア独自の伝統的な宴席など、渡部が取材を通して体験したグルジア文化も紹介する。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
海よ光れ ~山田町大沢で輝く子どもたち~

物語の舞台は、三陸海岸のほぼ真ん中に位置する岩手県下閉伊郡山田町。明治、昭和の大津波を乗り越えてきた海の町だ。厳しくも優しい海、そして先人たちの生き方を学ぼう―。山田町立大沢小学校で全校表現劇「海よ光れ」に取組み始めたのは、今から25年以上前の1988年のこと。地元の方言を使い、小道具は手作り。低学年は「波」を、高学年は「町民」を演じる。◆「海よ光れ」は大沢小にとって「伝統」であり、かけがえのない「宝物」。しかし東日本大震災が発生した年、劇は上演されなかった。津波により、山田町大沢地区では95世帯中62世帯が全半壊。劇中の「津波の場面」が子どもたちの心に与える影響を考慮しての判断だった。劇が復活したのは、翌年2012年のことだ。◆番組では、震災当時3年生だった子どもたち、そして先生、家族に密着。避難所となった学校が徐々に「学び舎」として復興していく姿と共に、表現劇を通して心通わせる児童と先生、そして地域にスポットをあてる。「光届く~届く~♪海、朝の海光る~♪」とは劇中歌の一節。それぞれが抱く「海よ光れ」や「故郷」への思い、そして輝く子どもたちの成長を見つめた。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
日曜劇場 ルーズヴェルト・ゲーム〔3〕

予期せぬ不況の波と同業他社との抜きつ抜かれつの激しい攻防戦で、倒産寸前に追い込まれた中堅精密機器メーカー・青島製作所。会社を守り抜くため、男たちは奇跡の逆転劇“ルーズヴェルト・ゲーム”を巻き起こせるのか。決して諦めないサラリーマンたちに贈る、逆転に次ぐ逆転の物語。原作:池井戸潤。(2014年4月27日~6月22日放送、全9回)◆第3話。イツワ電器から実用新案権の侵害で提訴された青島製作所。細川(唐沢寿明)はイツワの狙いが訴訟に勝つことではなく、訴訟の風評によって青島の信用を失墜させる事だったと気付く。しかし時すでに遅く、訴訟問題を知った取引先から注文のキャンセルが相次ぎ、青島は窮地に追い込まれる。細川は訴訟問題の早期打開策は和解しかないと助言され、和解交渉の道を探るが、200億円の賠償金を払わなければ和解には応じないとイツワ側から突っぱねられてしまう。そこで細川は専務の笹井(江口洋介)から経団連の上田副会長(森本毅郎)に働きかけ、イツワと裏で通じているジャパニクスの諸田社長(香川照之)にあえて和解交渉の仲裁役を務めさせるよう仕向ける。一方、野球部員たちの熱意により野球部への入部に心を動かしつつあった沖原(工藤阿須加)は、大規模なリストラ敢行により解雇の対象者にされていた。そんな矢先、ピッチャーの萬田(馬場徹)に異変が起こる。


recent_actorsドラマtvテレビ番組
メ~テレドキュメント とむらい ~「英雄」の妻が見た国家~

中国で「民族の英雄」と呼ばれた元卓球チャンピオン・荘則棟。2013年2月、北京。彼の告別式は異様な雰囲気に包まれた。会場は病院の霊安室。周辺を公安警察が取り囲み、メディアの取材や一般の弔問は禁止された。当局はなぜ、荘の弔いを隠そうとしたのか。◆荘には妻がいる。佐々木敦子さん。旧満州生まれの日本人で27年前に荘と国際結婚した。敦子さんは荘が亡くなって数ヶ月、遺骨を手放せずにいた。「困難を共に越えてきたから二人でいたい」そんな気持ちの現われだ。◆1960年代前半、荘則棟は卓球の世界選手権で「男子シングル3連覇」という偉業を達成。建国から間もない中国で、国民に希望と自信を与えた。大会の後、荘は33歳の若さで大臣に抜擢される。ところが毛沢東の死後、権力を握っていた四人組が失脚。荘は四人組の追随者とみなされ、投獄された。◆釈放後、荘は敦子さんと出会って結婚するが、「四人組の追随者」という格印は消えなかった。敦子さんは荘が亡くなって初めて、その意味を知ることになる。敦子さんに訪れた試練、そして荘が残した言葉の意味の中に、現在の中国の「素顔」が垣間見える。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組