テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

又吉直樹 遠野一景

番組ID
209188
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2014年12月30日(火)16:50~17:45
時間(分)
48
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
岩手めんこいテレビ(MIT)
製作者
岩手めんこいテレビ(MIT)
制作社
岩手めんこいテレビ(MIT)、めんこいエンタープライズ
出演者
又吉直樹、ナレーション:千葉絢子
スタッフ
構成:岩本哲也、カメラ:高橋直樹、カメラ:今野賢也、音声:千葉匠、VE:野中達也、VE:佐々木将、編集:舘澤政則、選曲:山内智臣、MA:山内智臣、ヘアメイク:幅野広恵、イラスト:田村安理奈、テロップ:本村真由美、広報:半野真美子、ディレクター:寺澤樹理、ディレクター:照井未希、プロデューサー:岩渕博美、企画:高橋聡、演出:高橋聡
概要
お笑い芸人であり、芸能界有数の読書家、そして作家、脚本家としても活躍する又吉直樹が、日本民俗学の金字塔、柳田國男の著書「遠野物語」の舞台を旅する。数々の伝説や怪異譚が語り継がれる地、みちのく岩手・遠野。そこには日本の原風景が今も残されている。番組では又吉が物語の地を巡り、作品を朗読し、また自ら演じて遠野物語の世界を再現する。又吉は旅の最後に、新・遠野物語として一篇の随筆「遠野一景」を書き下ろす。

同じ年代の公開番組

どさんこワイド179 みる・みる・みらいスペシャル 池田高校吹奏楽部

「みる・みる・みらい」をテーマに北海道の未来につながる“力”を応援するSTV札幌テレビ。夕方の情報番組「どさんこワイド179」のスペシャルウィークでは、長期取材してきた「北海道の未来を創る人々」を特集で紹介する。この回は、踊って奏でる“ダンプレ”で多くの人に夢を送り届けた、池田高校吹奏楽部の1年間を見つめる。◆北海道池田高等学校吹奏楽部は、踊りながら演奏する“ダンプレ”(ダンス&プレイ)というスタイルが特徴。44年の歴史を持つ吹奏楽部は、北海道大会でも金賞を受賞したことのある実力チームだ。しかし、かつては50人以上いた部員は年々減り続け、現在の部員は17人。そこで5年前、少人数でもダイナミックな演奏をと、部員たちが自主的に生み出したのが“ダンプレ”だった。練習風景をインターネットに投稿した映像がきっかけとなって全国的な注目を集め、道内各地で100を超える数の公演を行ってきた。そして12月。3年生にとって部活動の集大成となる定期演奏会の日を迎える。


cinematic_blurドキュメンタリーmusic_note音楽tvテレビ番組
イチスペ! 帰ってきたかりんとう

東日本大震災から3年。宮城県女川町は町の中心部を津波に流されるなど、震災で壊滅的な被害を受けた。震災前、女川町には全国から注文が相次ぐ、人気のかりんとう工場があった。障害者が働く作業所「きらら女川」。2011年3月には作業場を増設することになっていた。そして3月11日。工場の引越しを終えた後、津波に襲われて仲間2人が犠牲となった。◆経営者の阿部雄悦さんは廃業も考えたが、ガレキの中から奇跡的に大事なミキサーが見つかったため、工場の再建を決意した。しかし再建の場は、宮城から800キロ離れた鳥取県伯耆町。「きらら女川」の立ち上げに協力した同志・松原千晶さんの故郷だ。震災から3か月後、かりんとう工場は鳥取で再スタートした。◆しかし2人の目標は、あくまで宮城県女川町での工塲再建。そしてついに震災から2年4か月を経て、女川町にかりんとう工場が帰って来た。今では16人の障害者が働いている。阿部さんの代わりに、松原さんが宮城で働くこととなった。鳥取には阿部さんにしかできない仕事が多くあり、鳥取を離れられないからだ。◆鳥取県に残った、宮城県出身の阿部さん。被災地で働く、鳥取から来た松原さん。ふるさとを離れた2人の活動により、鳥取、宮城、両県に障害者の働く場が生まれた。震災から3年、阿部さんはふるさと宮城で開かれた追悼式に出席した。この時に初めて、阿部さんはカメラの前で本当の思いを語った。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
ウッティ発! 最後まであきらめない ―大月高校8人の野球部―

山梨県・大月高校野球部の最後の一年間に密着し、彼らの感じたこと学んだこと、そして閉校される学校を巣立ち、社会人になっていくその姿を紹介する。◆1956年(昭和31)創立の大月短期大学附属高校は2014年(平成26)3月で閉校となり、58年間の歴史に幕を下ろした。最後の卒業式では、惜別の言葉として野球部主将・市川俊樹君が涙ながらに思い出と誓いを語り、野球部8人を含む卒業生105人が学び舎を巣立って行った。◆物語は閉校一年前の春から始まる。在校生徒が3年生105人のみとなり、各部活動はほとんど成り立っていない状況。24年間に渡って野球部を指導してきた永島良幸監督は、最後の夏大会に向けて悩んでいた。「野球部の部員が8人しかいない」。9人目最後の選手として陸上部から助っ人を呼び寄せ、何とか大会出場にこぎつける。◆永島監督は選手たちと一つの約束をした。「何があっても最後まで戦い続ける、仲間を信じてあきらめない」。その約束を胸に、生徒たちは最後の夏の一勝のため、汗を流し続けた。しかしたった8人のチームには様々な問題が生じる。それでも永島監督は部員たちを叱咤激励し、野球部を引っ張る。そして生徒たちの心にも変化が生まれていく。


cinematic_blurドキュメンタリーdirections_bikeスポーツtvテレビ番組
メ~テレドキュメント 汚された村から ~福島 チェルノブイリ~

福島県飯舘村は原発から約40km離れているが、風向きと降雪が大量の放射性物質をもたらした。村民の村上さん家族はメルトダウンの可能性を察知して避難し、幼い娘たちを被曝から守った。一方政府は事実を公表せず、避難指示も出し遅れた。母親たちは「せめて子どもだけでも先に逃がしてほしかった」と怒る。チェルノブイリ事故研究で知られた京都大学原子炉実験所の今中哲二助教は、村の汚染と被曝実態を調査し、原発事故由来のがん死は2~17件と推定する。◆チェルノブイリ事故では旧ソ連が情報を隠蔽した。原発から約80km離れたナロジチ地区では1万人が避難できずに取り残された。地区で生まれたブラジスラフ君の先天性障害は、ウクライナ政府から事故由来と証明されている。汚染地域では、今なお食べ物による内部被曝のリスクが解消されていない。国際原子力機関IAEAなどは子どもの甲状腺がんしか事故の影響を認めていないが、放射線医学研究所のステパノバ小児科部長らは、体内のセシウム量と血球数減少の実態を突き止めた。◆福島でも、内部被曝の影響が自然界の生物に現れている。福島でもチェルノブイリでも、人々は山や森の恵みを享受してきたが、その楽しみは奪われた。突然、故郷での日常生活を失った心の傷も深い。事故終息の見通しはたっていない…。原発所在地から離れていても、気象条件によって同じ悲劇が起こる事を、飯舘とナロジチは警告している。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.