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テレビ番組

メ~テレドキュメント 汚された村から ~福島 チェルノブイリ~

番組ID
209382
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放送日時
2014年05月28日(水)01:59~03:24
時間(分)
67
ジャンル
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ドキュメンタリー
放送局
名古屋テレビ放送(メ~テレ)
製作者
名古屋テレビ放送(メ~テレ)
制作社
名古屋テレビ放送(メ~テレ)
出演者
ナレーション:深津麻弓
スタッフ
カメラ:吉岡弘、カメラ:山田英寿、編集:佐藤和彦、編集:竹内雅文、音響効果:堀敦詞、MA:舘英広、MA:上松健二、ディレクター:安藤則子、プロデューサー:小崎千恵
概要
福島県飯舘村は原発から約40km離れているが、風向きと降雪が大量の放射性物質をもたらした。村民の村上さん家族はメルトダウンの可能性を察知して避難し、幼い娘たちを被曝から守った。一方政府は事実を公表せず、避難指示も出し遅れた。母親たちは「せめて子どもだけでも先に逃がしてほしかった」と怒る。チェルノブイリ事故研究で知られた京都大学原子炉実験所の今中哲二助教は、村の汚染と被曝実態を調査し、原発事故由来のがん死は2~17件と推定する。◆チェルノブイリ事故では旧ソ連が情報を隠蔽した。原発から約80km離れたナロジチ地区では1万人が避難できずに取り残された。地区で生まれたブラジスラフ君の先天性障害は、ウクライナ政府から事故由来と証明されている。汚染地域では、今なお食べ物による内部被曝のリスクが解消されていない。国際原子力機関IAEAなどは子どもの甲状腺がんしか事故の影響を認めていないが、放射線医学研究所のステパノバ小児科部長らは、体内のセシウム量と血球数減少の実態を突き止めた。◆福島でも、内部被曝の影響が自然界の生物に現れている。福島でもチェルノブイリでも、人々は山や森の恵みを享受してきたが、その楽しみは奪われた。突然、故郷での日常生活を失った心の傷も深い。事故終息の見通しはたっていない…。原発所在地から離れていても、気象条件によって同じ悲劇が起こる事を、飯舘とナロジチは警告している。

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