テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

震災の日に生まれた君へ ~希望の君の椅子~

番組ID
208213
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2013年05月18日(土)10:40~11:35
時間(分)
48
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
ondemand_video
報道・時事
放送局
北海道文化放送(UHB)
製作者
北海道文化放送(UHB)
制作社
北海道文化放送(UHB)
出演者
ナレーション:松本裕子
スタッフ
撮影:上野嘉之、撮影:佐藤健、撮影:高谷響、編集:三上昭人、編集:中澤出、音響効果:千田耕平、MA:松井謙典、CG:齊藤雄司、ディレクター:丹羽聖一、プロデューサー:小田学
概要
2011年3月11日。東日本大震災の混乱の中、被災地で産まれた104人の赤ちゃんたち。「あの日を忘れないために、小さくても確かな希望を…」そんな願いを込めて、北海道の小さな町で手作りされた「希望の君の椅子」が、あの日生まれた赤ちゃんたちに贈られた。大切な人を失った同じ日に新たな命を授かった家族の複雑な思い、震災直後の福島で車の中で産まれた赤ちゃんは今なお思うように外で遊ぶことができない…。それぞれの思いを抱えた家族に寄り沿う「希望の君の椅子」。子供と共に成長する家族の姿を通して“命の尊さ”“人間の強さ”を見つめ直す。

同じ年代の公開番組

テレメンタリー2013 12億円の弁明 震災復興 疑惑のNPOを追う

東日本大震災で甚大な被害をうけた岩手県山田町。2012年12月、被災者の緊急雇用事業を請け負っていた北海道のNPO法人「大雪りばぁねっと。」が資金不足で活動を停止。雇用していたおよそ140人の被災者は全員解雇された。2年間で町がNPOに支払った事業費は12億円。行方不明者の捜索活動や無料の入浴施設の建設・運営などに使われた一方で、高額な装備品の購入や豪華な施設の改修費への支出など、不明朗な会計処理が明らかになった。なぜ、異常事態は見逃されたのか。◆HTB取材班がこのNPOと出会ったのは、震災があった2011年の秋。北海道から山田町へと乗り込み、様々な支援を行うNPOの活動は、当時町内で高く評価されていた。しかし予算の使い切りによる従業員解雇で、評価は一変する。岩手県は2012年度の事業費約8億円のうち、5億円あまりを「不適切な支出」と認定。町がNPOに対し損害賠償の構えをみせると、NPOは自己破産を申請。賠償請求の矛先はNPOの代表へと向けられた。◆問題となったNPO法人の乱脈経理の実態とは。番組では、数々の証言をもとに疑惑の真相に迫る。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
テレメンタリー2013 カクレキリシタンの里 禁教から400年、守り続けたオラショは今

2011年12月、長崎市で「潜伏キリシタン」の墓碑群が完全な形で発見された。調査の結果、1600年代半ばから200年以上に渡り形成された墓碑群であると推定されている。江戸幕府の禁教令から、明治新政府による撤廃まで、密かに信仰を守り続けてきた潜伏キリシタンたち。その墓は、幕府により徹底的に破壊されたと考えられていただけに、まさに奇跡的な発見だった。◆1865年3月17日の大浦天主堂での「信徒発見」により、日本のキリスト教は復活した。しかし、それまで幕府の弾圧におびえつつ信仰を守り抜いてきた「潜伏キリシタン」たちが、直ちに解放されカトリック教会に戻ったかといえば、実はそうではない。彼らは、潜伏キリシタンとしての信仰を守るものや、仏教に入信するものなど、3つのグループに分かれてしまったという。◆もともと同じ信仰を持っていたはずの「潜伏キリシタン」が三派に分断された事実を知る者は少ない。その三派の子孫は、禁教令が撤廃され140年経った現在も長崎に暮らし、それぞれの信仰を守り続けている。なぜ彼らは三派に分かれたのか。いまなお続くカクレキリシタンの信仰とは。そして、同じ地域で暮らす彼らは、これからどこへ向かおうとしているのか。弾圧の歴史が生み出した現代の「カクレキリシタン」の実像に迫る。


cinematic_blurドキュメンタリーschool教育・教養tvテレビ番組
左ききになって ~夢はパラリンピック~

脳出血による右半身まひの障がいを抱える男性がパラリンピック出場を目指し、パラトライアスロンに挑み始めた1年を追うドキュメンタリー。◆山形県鶴岡市に住む菅原繁幸さん、39歳。5年前に脳出血で倒れ、一命はとりとめたものの、右半身まひの障がいを抱えることとなった。それまで大工の仕事をしていたが、復帰はかなわず、今は高齢者の介護福祉施設で働いている。脳出血で倒れるまでは、健康を気にしたことはなかったという菅原さん。まさか自分が障がいを持つことになるとは想像もしていなかった。精神的などん底を経験し、周りの目が気になって、外出はなるべく避けるようになっていた。◆しかし菅原さんは、リハビリを兼ねたジム通いは続けていた。そしてジムの知人の紹介で、障がい者のスポーツチームと出会う。チームでは指導員や作業療法士などが選手たちをサポートする。夢を大きく持とうと、パラリンピック出場を目指すことに。競技は、2016年のリオ・パラ五輪から正式採用される、パラトライアスロンだ。◆菅原さんはトライアスロンの経験が無い。泳ぐことすらままならない素人。手探り状態の中、ゼロからのスタートとなった。しかし周りの後押しやレース後の達成感などから、菅原さんはすぐにその魅力に引き込まれ、自分が変わっていく喜びを感じていく。右半身まひの菅原さんの口癖は「左利きになって5歳。まだまだお子さまですよ」。番組では、生まれ変わった自分で前を向いて歩き続ける菅原さんの姿を描く。


cinematic_blurドキュメンタリーdirections_bikeスポーツtvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.