テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

時空の旅人 ―ボロ電が運んだ時代―

番組ID
207399
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2012年07月07日(土)14:30~16:00
時間(分)
72
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
山梨放送(YBS)
製作者
山梨放送(YBS)
制作社
山梨放送(YBS)、ファーストビジョン
出演者
桑嶋維三浦実夏、ナレーション:武田広
スタッフ
撮影:種田淳一、撮影:早川隆史、音声:保坂政之、音声:保坂貴道、編集:柳沢康之、CG:志村裕之、MA:窪田務、音響効果:松岳宏明、構成:荻野弘樹、ディレクター:小林かおり、プロデューサー:有泉裕人、制作統括:広瀬哲也
概要
戦前、戦中、戦後と、山梨県の西部を30年に渡って走り続けた「山梨交通電車線」。廃線となってから長い年月が流れたが、今なお地域に愛され続けている。◆片田舎の田園を時速30キロで走る電車は「ボロ電」と呼ばれて親しまれた。一両編成の電車は運転手も乗客も顔見知り。映画が予定よりも遅く終わるときは発車を遅らせたり、小さな子供を運転席に入れてベルを鳴らさせてくれるなど、今では想像もできないふれあいがボロ電にはあふれていた。◆その廃線から50年となった2012年。番組では、線路跡を辿りながら、ボロ電に深くて熱い想いを持ち続ける人々を訪ね歩く。旅人は写真家の桑嶋維と三浦実夏アナウンサー。ボロ電を知らない2人が、旅をしながら様々なエピソードに出会う。YBS開局記念特別番組。
放送ライブラリー以外で視聴可能な施設

同じ年代の公開番組

NNNドキュメント’12 3・11大震災シリーズ26 生かされた命 ~阪神・淡路から東日本へ~

2011年3月11日。未曾有の大震災。神戸にいた黒田裕子さんは、テレビの映像を見てすぐに現地へと向かった。自分に出来ることは被災した人を支えること。その思いは生かされた被災者の一人として、決して変わらぬ強い信念だった。◆阪神大震災当時、黒田さんは被災地・神戸の仮設住宅で「黄色いハンカチ活動」を提唱した。「きょう一日元気だったら黄色いハンカチを玄関に掲げる」…避難所から仮設住宅に移り住んだ被災者が孤独死していく現状を何とかしたいと始めたこの取り組みは、分断されたコミュニティの架け橋となり、多くの高齢者の命を救うことにつながった。◆それから17年。東日本大震災の被災地で目の当たりにしたものは、阪神の時と全く同じ課題であった。避難所での生活を終え仮設住宅へと入居する過程で地域が分断され、一人暮らしの高齢者が、孤独死の危険に直面しているのだ。◆同じ過ちを繰り返してはならない。黒田さんは毎週神戸から宮城に通い、ほかのボランティアのメンバーとともに被災者を見守り続けている。「これからどんなことが起こり得るか、だから何をしないといけないか、そういうことが予測できるので関わりを持たせてもらいたいんです」…彼女が見据えるのは、いま被災者が直面する問題だけでなく、長く険しいこれからの道程だ。「それでもなお、命のある限り、自分自身を大事にしてほしい」そう語る彼女の温かな眼差しが、今日も被災者に注がれている。


cinematic_blurドキュメンタリーondemand_video報道・時事tvテレビ番組
シリーズ輝石の詩 解体新書を描いた男 秋田蘭画と小田野直武

およそ200年前の江戸時代中期。25歳の青年絵師・小田野直武は、平賀源内にその才能を見出され、みちのくの小京都・角館から江戸に向けて一人旅立った。江戸に出た直武は、西洋の新しい絵画表現を取り入れた“秋田蘭画”と呼ばれる作品を数多く描き、主君・佐竹曙山とともに日本洋画の先駆けとなった。同時に直武は、本邦初の本格的解剖書「解体新書」の挿絵画家としても後世に名を残している。しかし、その華々しい業績とは裏腹に、直武は“国元遠慮”を申し付けられたまま、32歳の若さで短い生涯を閉じた。時は安永、田沼意次が威勢を誇った時代。日本は鎖国の真っ只中にあった。◆源内によれば、当時の秋田は“甚だ手広なる事にて御座候得ども、未開之国にて御座候得処”だったという。なぜ“未開之国”から、日本洋画の先駆けになった秋田蘭画の花が開き、当時の先端医学書に携わる人物を輩出できたのか。直武と秋田蘭画、そして「解体新書」にまつわるミステリーを解き明かしていく。シリーズ輝石の詩・file7。秋田朝日放送開局20周年記念番組。


cinematic_blurドキュメンタリーschool教育・教養tvテレビ番組
NNNドキュメント’12 3・11大震災シリーズ おかえりが言えるまで

宮城県気仙沼市の鹿折地区は、東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた。この地区の“顔”と言われた商店街の一角に、創業93年の「すがとよ酒店」があった。菅原文子さんは店舗と家を兼ねたこの場所で、夫の豊和さんや息子たちと暮らしていた。◆2011年3月11日。家族8人が店にいた。強烈な揺れの後に押し寄せた大津波。豊和さんは家族に避難を促し、一人店に残ろうとしていた。2階の住居にいた文子さんは、豊和さんを助けようと階段を駆け下り手を伸ばした。豊和さんはその手をすり抜けて津波に流され、行方不明になった。◆3ヶ月後。文子さんは遺体が見つからぬまま、夫の死亡届を出した。それでも待っていた。時が経つにつれ、夫への思いが募った。文子さんは昔から好きだった「手紙」に帰らぬ夫への思いを綴った。◆2012年1月。鹿折地区では復興に向け被災建物の解体が進められていた。「すがとよ酒店」も解体の日を迎えた。夫婦の全てが詰まった店の解体。文子さんは心の中で何度も“ありがとう”とつぶやいた。そして、2012年6月。文子さんに突然の知らせが届く。


cinematic_blurドキュメンタリーondemand_video報道・時事tvテレビ番組
FNSドキュメンタリー大賞 お米のあした 農業の未来を耕せ

日本の農業を取り巻く環境が悪化している。米価は下落し続け、ピーク時の3分の2に、一人が一年間に食べるお米の量は、50年前の約半分になった。農家の収入は減り、米作りに欠かせない田植え機・トラクター・コンバインなど高価な農機具が農家の経営を圧迫する。そんな中、大手スーパーが中国産米の販売を開始した。低価格帯の国産米に比べ3割ほど安いという。そしてTPPが農家に追い打ちをかける。◆新潟県長岡市に田んぼに囲まれた会社がある。「エコ・ライス新潟」だ。農家たちが集まってできた会社で、コメの製造・販売を行い、これまで有機栽培による安全で安心なコシヒカリを全国各地に届けてきた。コメの環境の変化に、マネージャーの豊永有さんは「白い米だけを作って売る時代は終わった」と話し、アルファ米や米粉スイーツの開発など、コメを加工することで需要拡大をねらう。◆豊永さんが取り組んでいるもう一つの試みが2007年から始めた「白藤プロジェクト」。東京家政大学の学生と一緒に、新潟で幻のコメとなっていた「白藤」を復活させ、スイーツや化粧品などの商品開発を進めている。そしてこの白藤プロジェクト出身の女性が東京の小学校で栄養士として働き、子どもたちに米作りを体験させる“食育”を行っている。「お米作りを今の子どもたちに伝えることで、日本の将来を考えることになる」と話す。◆豊永さんはコメを使った商品開発だけでなく、“お米のあした”を創っていた。「百年後も二百年後もここで農業をやっていく」と力強く話す豊永さんの取り組みを通して“日本のコメ”の生きる道を探る。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.