テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

radio
ラジオ番組

ああ素晴らしき大衆音楽

番組ID
R20190
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2010年05月29日(土)00:00~01:00
時間(分)
58
ジャンル
music_note
音楽
放送局
京都放送(KBS京都)
製作者
京都放送(KBS京都)
制作社
京都放送(KBS京都)
出演者
スタッフ
演出:小林秀野、制作:小林秀野、制作:森永貴則
概要
一人一人が「個」で音楽を聴く現代。だが蓄音機の時代には、誰もが一緒に歌える音楽があった。小説家のいしいしんじ氏とギタリストの大友良英氏がスタジオに蓄音機、ポータブルプレーヤー、カセットテープレコーダーを持ち込み、再生機と音楽の聴かれ方の変遷をたどりながら、音楽と大衆の関係を考える。◆ふとしたきっかけで1930年代の蓄音機を手に入れたという、いしいさん。一曲ごとに針を替えながら、蓄音機と同世代のSP盤を聴く。蓄音器にはスピーカーがない。機械自体が音を響かせる楽器であり、録音当時の空気の振動をそのまま伝えるタイムマシンだ。また、当時のみんなで蓄音機を囲んで聴くスタイルが、レコード制作にも影響していることがわかる。後半では大友さんがポータブルプレーヤーで、当時大好きだったという坂本九の「悲しき60歳」を紹介するが、レコードの回転数を間違えるハプニングも。◆プロがつくった音楽を大衆が聴く時代が続いたが、将来は大衆誰もが音楽を奏でる時代になるのかもしれない。

同じ年代の公開番組

忘れんようにしんさいよ 作曲家・川崎優が伝えるヒロシマ

川崎優さん(86歳)は、被爆体験がある唯一の現役音楽家とみられている。彼が作曲した「祈りの曲 第一『哀悼歌』」は毎年広島市の平和記念式典で演奏されている。川崎さんは東京出身。音楽学校在学中に学徒動員され、音楽家の耳を買われて特殊任務に就き、体を壊して父の郷里広島に身を寄せていて被爆した。爆心地から約1.5キロで瀕死の重症を負ったが、一命を取りとめ、その後フルート奏者・作曲家として国際的に活躍。被爆30年を機に市に献呈したのが「祈りの曲 第一」だ。この曲ができるまでに10年の葛藤があった。その後川崎さんはライフワークとして第二、第三と作曲し、被爆者であることも隠さなくなった。以来35年、この曲は市内の高校生らに演奏され続けている。一方、原爆の惨状を伝え、平和を訴える原爆音楽は2000曲以上あるとみられる。市民団体が企画したコンサート「ヒロシマ音の記憶」に川崎さんが招かれ、新曲「祈りの曲 第六」を初演し、被爆体験を語った。だが、そこでも語れなかった苦い記憶。その記憶を川崎さんが語る。原爆のことが忘れられないように。◆被爆65年RCCラジオ特別番組


cinematic_blurドキュメンタリー・録音構成music_note音楽radioラジオ番組