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ニュース映画

毎日世界ニュース 422 中共の国境地帯

番組ID
N00841
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
上映日
1959年09月09日(水)
時間(秒)
101
カテゴリ
国際情勢・海外
概要
中国の奥深い内蒙古の国境地帯。工業化を急ぐ中国は、この地方の塩水湖の開発に乗り出した。塩分の多いこの湖水からは簡単に塩が採れ、今日も塩を積んだラクダのキャラバンが、都会の工場に向かって長い列を作って行く。ダライ・ラマの脱出に続く動乱で注目を集めたチベットも、ようやく静けさを取り戻して、中国解放軍の駐屯部隊が付近の農家の手伝いに一役買っている。忙しい畑仕事も終って迎えたラマの祭。踊りや歌に町中を練り歩く人々。打ち続くインドとの国境紛争をよそに、ここでは明るい表情がうかがえる。こうした折、中国と境を接するラオスでは、北ベトナム・ゲリラ部隊の不法侵入に、非常事態を宣言した。人々は戦火を避けて安全地帯に避難している。この緊迫した情勢に、ラオス政府は国連軍の派遣を要請したが、アジアの一画に起こった紛争の一日も早い解決が望まれている。

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1959年6月25日、閣僚を入れ替えて守りを固めた岸信介内閣は、最大の関門、安保条約改訂問題を抱えて臨時国会に臨んだ。政府の防衛力強化の方針に、一周年を迎えた自衛隊習志野空挺団では訓練にも一段と気合いが入り、海上自衛隊には日米相互防衛援助協定による、戦後最大の国産駆遂艦「てるづき」も誕生した。同じ日、アメリカへ向かう練習艦隊と入れ代わりに、鹿児島港に日本の最南端与論島から平和行進が到着、原水爆禁止の悲願を込めて広島への歩みが続けられた。韓国(大韓民国)から米軍の撤退を求めて気勢をあげる北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の人々も、帰国を前に喜びの表情が溢れているが、この日は祖国の姿そのままに、南北入り乱れての朝鮮動乱記念日となった。防衛庁前には安保条約改訂反対のデモ隊が押しかけ、日比谷で全国統一行動日の中央大会が開かれた。防衛予算より米価の補償をと農民も立ち上がり、折りから開かれている米価審議会に適正米価を要求して農林省前へ坐り込みの作戦に出た。夜の街では全学連の学生たちがデモをくり返し、またしても警官隊と衝突し、この日のフィナーレは夜の更けるまで続けられた。1959年6月25日は、国の運命を決める多くの問題を抱えて悩む日本の縮図ともいうべき一日であった。


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