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ニュース映画

毎日世界ニュース 420 その後の災害地 山梨

番組ID
N00831
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
上映日
1959年08月26日(水)
時間(秒)
117
カテゴリ
社会
概要
台風7号の傷跡も生々しい山梨県の釜無川流域。激流に押し流されてしまった北巨摩郡武川村の商店街のあとには、早くもバラック建ての店が出来て、復興の第一歩を踏み出している。急造の仮小屋で、ようやく一家揃って食事もとれるようになった。潰された友だちの家のあと片付けに精出す中学生たち、高校生は倒れたぶどう棚の復旧に勤労奉仕の汗を流している。待ちに待った食糧や衣類も届けられて、嬉しい配給が始まった。差し伸べられた救援の贈物を背負って、砂漠のような河原を我が家に急ぐ人々。危険をおかして、孤立した奥地へも食糧が運ばれる。自衛隊も各地で決壌した堤防の修理や、架橋作業に力強い活躍を見せている。こうして途絶した交通もようやく開かれた。しかし、意外に大きい被害に復旧作業は困難を極め、被災した家が手の着けられないまま残っている災害地に、台風の秋を迎えるのが気遣われている。

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毎日世界ニュース 406 ゆらぐ専売制度

瀬戸内海沿岸では流下式という新しい製法を取り入れて、塩の生産はようやく最盛期に入ろうとしているが、一方では、塩の生産過剰のため、整理の対象となった弱小塩田は、今途方に暮れている。伊達政宗の時代から300年の歴史を持つ、宮城県の渡波塩田もその一つ。入浜式という昔ながらの製法では、コストが高くついて外国から安く入る塩に太刀打ち出来なくなったのである。戦後塩不足の時代、増産また増産に追われたのも今は昔の夢。再建も補償もメドがつかぬまま、塩を炊くカマドの火は絶えて、塩田はペンペン草の生え放題。見捨てられてゆく弱小塩田の悲哀である。一方、アルコールは需要減のため、宮崎県の小林工場は経営合理化のため民間払下げと決定。120名の従業員たちは死活問題だけに払下げ絶対反対。市役所に陳情に押し掛けて深刻な表情だ。同じ民間払下げの悩みを持つ福岡の国鉄志免炭鉱の従業員たちも、応援に駆けつけ、払下げ反対の共同闘争を打ち出した。その場へ視察に現れた通産局の役人が、写真を撮ったというのでフィルムを巻き上げられる始末。赤字を抱えた専売制度の危機は、経営合理化の名のもとに、こうした弱小企業へのシワヨセとなって表われて来たようである。


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毎日世界ニュース 430 南海初優勝 日本シリーズ

プロ野球日本シリーズ。1959年10月29日、南海3連勝のあと、後楽園球場で迎えた巨人土壇場の第4戦。ストレート勝ちで悲願達成の意気あがる南海3回表の攻撃。ランナー広瀬叔功を1塁に、巨人はエース藤田元司をマウンドに送って必死の防戦。バッター杉山光平の打球は左中間へ、センター加倉井実懸命に前進したが抜かれ、この間に俊足広瀬が1塁から一挙にホームイン、南海が先制の1点をあげた。追い詰められた巨人は6回藤田が強引に盗塁し懸命の攻撃、しかし、4戦連投の杉浦忠投手を崩せず、国松彰もあえなく凡退して得点できず。南海7回の攻撃、ランナー1、2塁で鶴岡一人監督に激励された杉浦がレフト前にクリーンヒツトして1死満塁、続く穴吹義雄はショートゴロ、広岡達朗捕ってバックホーム、藤尾茂捕手が落球の間に岡本伊三美ホームイン。続く森下正夫はライトフライ、国松捕ってバックホーム、しかし高い球で藤尾捕手後逸、3塁から寺田陽介悠々ホームイン。南海は藤田投手を再び打ち込んでダメ押しの2点をあげた。いよいよ最終回、巨人最後の攻撃も杉浦の好投で早くもツーアウト。最後の期待を担ったバッター坂崎一彦もセカンドゴロに倒れて万事休す。3対0で南海優勝。南海は最高殊勲選手に輝いた杉浦の健闘で、待望の優勝を驚異の4連勝で勝ち取った。マウンド上で躍り上がる南海ナイン。念願叶って胴上げされる鶴岡監督を横目に、淋しく帰る巨人の水原円裕監督。こうして南海は4戦全勝の新記録で初の優勝を飾った。


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毎日世界ニュース 400 特報 皇太子殿下ご結婚

晴れの日を迎えた1959年4月10日。皇太子さまのお使い山田康彦東宮侍従長のお迎えを受けた正田美智子さんは、家族の人々に別れを告げて、午前6時30分池田山の実家をあとに皇居に向かった。皇太子さまも9時10分東宮仮御所を出発、皇居に向かわれる。皇族、閣僚らこの日の参列者1072名も、威儀を正して賢所内幄舎に集まって行く。やがて、午前10時甘露寺受長掌典長の先導で、回廊に姿をお見せになった黄丹袍の束帯の皇太子さまと、十二単の美智子さんは、しずしずと賢所内陣に進まれ、厳かに「結婚の儀」が始まった。神前に皇太子さまが結婚の誓いを告げられたのち、外陣にさがったお二人は晴れて固めの盃を受けられる。美智子さんはこの時から、皇太子明仁親王妃美智子殿下となられたのである。午後2時、美しいローブ・デコルテの胸に、勲一等宝冠章を輝かせた美智子妃殿下は、皇太子さまとともに仮宮殿西の間で天皇・皇后両陛下に正式の挨拶をされる「朝見の儀」に臨まれる。このあと両殿下は、美しい6頭立て4頭引きの儀装馬車に同乗して皇居を出発、沿道9キロを埋めたおよそ100万の群衆の歓呼と祝福を浴びながら、お二人のスイート・ホーム東宮仮御所に帰られた。美しいロマンスが実を結んだ4月10日。雲一つなく晴れ上がった空の下、お二人の幸福をお祝いする国民の歓呼は、いつまでも沿道にこだましていた。


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