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ニュース映画

毎日世界ニュース 415 暑夏の候

番組ID
N00808
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
上映日
1959年07月22日(水)
時間(秒)
212
カテゴリ
社会
概要
1959年7月13日、西日本一帯は豪雨に見舞われ、鹿児島本線など各幹線は浸水のため不通、死者31人、行方不明23人という被害を出した。梅雨が明けて、福岡県の白糸の滝では飛沫を浴びながら素麺流し、川の中の立ち食いはまた格別と、凉を求める人たちで賑わった。防寒具に身を固めて、北海道大学低温科学研究所の零下25度の研究室では、いま寒さと闘いながら氷の研究が続けられている。下界の暑さをよそに富士山頂はまだ雪に覆われて、夏山を訪れる人々を喜ばせている。日頃交通地獄の町を行く運転手さんたちは、山寺へ籠って精神修養の明け暮れ。幼稚園の良い子たちは臨海学校で楽しい毎日を送っている。深夜、懐中電灯を頼りに抜き足、差し足、いびきの先生の夜の仕事が始まる。苦心してテープにとったいびきのコレクションも、治療に役立たせる大切な資料。江戸の名物、両国の花火が1959年も夜空を彩って夏はいま盛りである。

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毎日世界ニュース 436 さよなら日本

1959年12月10日、品川駅の内外を埋めつくした旗の波に送られて、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)への第1次帰還が始まった。父の遺骨を抱いた少女も、息子に背負われた老人も、思い思いの希望を胸に集結地新潟に向かうのだ。予想された韓国側の妨害もなく帰還列車は順調なスタートを切った。しかし翌朝新潟駅構内にさしかかった頃、韓国青年行動隊の妨害で列車が一時立ち往生する騒ぎが一度ならずあった。列車は20分遅れて新潟駅に到着。警官隊護衛の中をバスを連ねて宿舎日赤センターへ向かい、第1次帰還者975名の集結を無事に終った。宿舎の周辺は万一に備えて昼夜をわかたぬ厳重な警戒。その中で帰還者たちは問題の意思確認手続きもなごやかに済ませ、日本の小学生が別れに歌うアリランの調べに、旅情を慰めながら静かに船出を待った。14日いよいよ帰国の日。帰還者たちは新潟港に待つ2隻のソ連船に乗船、葛西嘉資本部長(日本赤十字社副社長)から、李一卿(北朝鮮赤十字社副社長)北朝鮮代表に帰還者名簿が引き渡されて、日本とも間もなくお別れである。長い曲折を経て3年ごしにやっと実を結んだ帰国の夢。苦しかった日本での生活も今日で終る。祖国ではきっと温かい歓迎が待っていることだろう。送る人、送られる人、喜びと別離の涙もこもごも氷雨降る新潟港をあとに、第1次帰還船はクリリオン号を先頭に岸壁を離れて、一路清津(チョンジン)港に向かった。


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