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ニュース映画

毎日世界ニュース 396 鳩山一郎氏死去

番組ID
N00726
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
上映日
1959年03月11日(水)
時間(秒)
113
カテゴリ
政治・経済
概要
元首相の鳩山一郎氏は、1959年3月7日、狭心症のため東京音羽の私邸で76才の生涯を閉じた。岸信介首相をはじめ、各界の名士が弔問に駆けつけ、鳩山邸は深い悲しみに包まれた。政党政治家として一生を送った鳩山さんのフィルムで綴った在りし日の姿である。昭和29年(1954年)12月第1次鳩山内閣を組閣。同31年(1956年)10月、念願の日ソ交渉のためモスクワに赴き、共同宣言に調印。12月には自民党総裁を辞し、石橋湛山さんにあとを譲って、40年にわたる政治生活の最後となった国会での引退演説を残して政界から退き、以来静養生活を送っていたのである。

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毎日世界ニュース 436 さよなら日本

1959年12月10日、品川駅の内外を埋めつくした旗の波に送られて、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)への第1次帰還が始まった。父の遺骨を抱いた少女も、息子に背負われた老人も、思い思いの希望を胸に集結地新潟に向かうのだ。予想された韓国側の妨害もなく帰還列車は順調なスタートを切った。しかし翌朝新潟駅構内にさしかかった頃、韓国青年行動隊の妨害で列車が一時立ち往生する騒ぎが一度ならずあった。列車は20分遅れて新潟駅に到着。警官隊護衛の中をバスを連ねて宿舎日赤センターへ向かい、第1次帰還者975名の集結を無事に終った。宿舎の周辺は万一に備えて昼夜をわかたぬ厳重な警戒。その中で帰還者たちは問題の意思確認手続きもなごやかに済ませ、日本の小学生が別れに歌うアリランの調べに、旅情を慰めながら静かに船出を待った。14日いよいよ帰国の日。帰還者たちは新潟港に待つ2隻のソ連船に乗船、葛西嘉資本部長(日本赤十字社副社長)から、李一卿(北朝鮮赤十字社副社長)北朝鮮代表に帰還者名簿が引き渡されて、日本とも間もなくお別れである。長い曲折を経て3年ごしにやっと実を結んだ帰国の夢。苦しかった日本での生活も今日で終る。祖国ではきっと温かい歓迎が待っていることだろう。送る人、送られる人、喜びと別離の涙もこもごも氷雨降る新潟港をあとに、第1次帰還船はクリリオン号を先頭に岸壁を離れて、一路清津(チョンジン)港に向かった。


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