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ニュース映画

毎日世界ニュース 430 三千万円の逃避行 鮎川派の選挙違反

番組ID
N00875
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
上映日
1959年11月04日(水)
時間(秒)
98
カテゴリ
社会
概要
日本中小企業政治連盟をバックに30歳で政界におどり出た、自民党の参議院議員鮎川金次郎氏は、1959年10月30日、選挙違反の容疑で東京地方検察庁に出頭、取調べを受けることになった。一方、この事件の重要容疑者二人は、5ヵ月間にわたる3千万円のデラックス逃避行の末、沖縄で捕まり空路羽田に強制送還されて来た。密出国について取調べるため、出口で早速逮捕状を突きつけられ手錠をはめられて丸の内署へ連行されたが、1億円をバラマイタといわれる選挙違反事件に当局のメスが加えられる事になった。

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毎日世界ニュース 434 国会デモ乱入事件

ベトナム賠償をめぐって社会党が激しく政府を追求する1959年11月25日の衆議院外務委員会。自民党が質疑打ち切りを強行したため委員会は混乱、社会党の委員は一斉に退場してしまった。夜も白々と明ける頃、社会党欠席のまま採決に入り、問題のベトナム賠償は本会議に送られ27日早朝ついに衆議院を通過した。その日の午後の国会前は、安保改定阻止を叫んで日本労働組合総評議会(総評)、全日本学生自治会総連合(全学連)のデモ隊2万7千人が押しかけ、人と旗の波で埋まった。右翼も飛び出して、第8次統一行動日は初めから荒れ模様。請願デモの波は続々と正門に殺到、警官隊と揉み合いが続き、双方の負傷者は300人以上に達した。やがて陳情団の代表が国会議員の先導で中に入った。ところがその後から全学連を先頭に、デモ隊がなだれを打って国会構内に乱入、ジグザグデモを繰り返した。浅沼稲次郎書記長の説得も若い学生たちの耳に入らない。こうしてデモ隊が1時間あまりも国会を占拠するという国会史上空前の不祥事となった。この事件の先頭に立って独走した全学連は、検束者を返せと警視庁に押しかけたが、またも検束者を出す結果となった。全学連本部は書類を焼き捨て、東大自治会も門を閉ざし、バリケードを築き、手入れに備えて泊り込みの非常体制だ。波乱の一夜が明けた国会、二度と汚したくない民主主義の殿堂である。


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毎日世界ニュース 401 慶祝協奏曲

1959年4月10日、晴れやかに「結婚の儀」を終えられた皇太子殿下と美智子妃殿下は、6頭立4頭引きの儀装馬車に乗って皇居をご出発。華やかなパレードに移った。沿道の人々の歓呼にこたえながら東宮仮御所にお着きになったお二人は、やっとくつろいだ新婚第一夜をお迎えになった。この日各地ではお二人にあやかって空前の結婚ラッシュ。京都では御所の前で26組が一度にゴールインすれば、東京でも皇太子さまにつづけと3組が仲良く誕生、皇太子殿下万歳を三唱した。記念撮影もあとがつかえている結婚ブーム。東京駅では、新婚列車「ちよだ号」が満員の花嫁花婿を乗せて、ハネムーンの旅にスタートした。夜は東宮仮御所に地元の人々がお祝いの提灯行列。お二人の幸せを祈る提灯の波は夜の更けるまで続いた。群馬県の沼田市では70組の男女が参加して慶祝テニス大会が開かれ、桜咲くテニスコートにロマンスの花を咲かせた。一方、正田家の郷里館林はまるで感激と興奮のルツボ。パレードを繰り出して市始まって以来のお祭り騒ぎに沸き立った。東京でもイルミネーションに輝く花電車が夜の銀座を彩り、国立競技場では6万の人を集めて「お祝いの夕べ」が行なわれ、奉祝気分は最高潮に達した。越えて12日、皇居ではお二人の結婚を祝う内宴が催され、天皇ご一家は美しい振袖姿の美智子妃殿下を囲んで、なごやかなひと時を過ごされた。そして13日から3日間にわたって、ご結婚披露の宮中祝宴が、内外の名士を招待して仮宮殿北の間で華やかに開かれた。


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毎日世界ニュース 436 さよなら日本

1959年12月10日、品川駅の内外を埋めつくした旗の波に送られて、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)への第1次帰還が始まった。父の遺骨を抱いた少女も、息子に背負われた老人も、思い思いの希望を胸に集結地新潟に向かうのだ。予想された韓国側の妨害もなく帰還列車は順調なスタートを切った。しかし翌朝新潟駅構内にさしかかった頃、韓国青年行動隊の妨害で列車が一時立ち往生する騒ぎが一度ならずあった。列車は20分遅れて新潟駅に到着。警官隊護衛の中をバスを連ねて宿舎日赤センターへ向かい、第1次帰還者975名の集結を無事に終った。宿舎の周辺は万一に備えて昼夜をわかたぬ厳重な警戒。その中で帰還者たちは問題の意思確認手続きもなごやかに済ませ、日本の小学生が別れに歌うアリランの調べに、旅情を慰めながら静かに船出を待った。14日いよいよ帰国の日。帰還者たちは新潟港に待つ2隻のソ連船に乗船、葛西嘉資本部長(日本赤十字社副社長)から、李一卿(北朝鮮赤十字社副社長)北朝鮮代表に帰還者名簿が引き渡されて、日本とも間もなくお別れである。長い曲折を経て3年ごしにやっと実を結んだ帰国の夢。苦しかった日本での生活も今日で終る。祖国ではきっと温かい歓迎が待っていることだろう。送る人、送られる人、喜びと別離の涙もこもごも氷雨降る新潟港をあとに、第1次帰還船はクリリオン号を先頭に岸壁を離れて、一路清津(チョンジン)港に向かった。


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