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テレビ番組

軽傷ではない 飲酒事故被害者の10年

番組ID
218868
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放送日時
2024年03月27日(水)01:18~02:28
時間(分)
67
ジャンル
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ドキュメンタリー
放送局
長崎文化放送(NCC)
製作者
長崎文化放送(NCC)
制作社
長崎文化放送(NCC)
出演者
語り:志久弘樹
スタッフ
題字:後田順子、その他:関川修一(統括)、字幕:吉野史子、字幕:黒崎久子、撮影:松川勝貴、撮影:牧山貴光、撮影:森田竜一、撮影:小川豪、MA:小川豪、取材:志久弘樹、編集:志久弘樹
概要
2013年11月3日、長崎県の国道で無免許、酒気帯び運転の男(43歳)が携帯電話の通話中に衝突事故を起こし、対向車2台が巻き込まれた。正面衝突された軽乗用車には、将来プロのトランペット奏者になる夢を抱き、母の運転で大学の音楽学部の推薦入試を受けるため駅に向かっていた高校3年の前川希帆さん(当時18歳)が乗っていた。母親は全治約10日の骨折、希帆さんは全治約1カ月の前額部・頬部・上唇裂傷等の傷害を負った。警察庁の定義では1カ月(30日)未満の治療を要する人は「軽傷者」で、報道機関も「軽傷事故」「軽いけが」など報じた。しかし希帆さんの夢は“致命傷”を負った。演奏に欠かせない4本の前歯を失ったため、当時コンテストで優勝し将来を期待された音色が出せなくなったのだ。日々練習を続けたが取り戻せず、模索した大学時代、夢は「高校の音楽教師」「吹奏楽部の指導者」に進化し、挑み続けてきた。事故から今年で10年。希帆さんは、「諦めないこと、一日一日一生懸命大切に過ごしていくことが大事と思う。日々ニュースなど見ていると当たり前の毎日は約束されていないと感じる。」と語る。幾多の壁や試練に挑み、夢を諦めず不屈の思いで人生を切り開き続けた10年の記録。

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