テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

日本のチカラ 俺たちのパラダイス ~楽しもうぜ!人生のステージ~

番組ID
218797
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2024年01月19日(金)10:20~10:50
時間(分)
26
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
福井放送(FBC)
製作者
福井放送(FBC)
制作社
福井放送(FBC)、民間放送教育協会
出演者
ナレーション:揚原妃織
スタッフ
テーマ曲:相知明日香、撮影:山内明、撮影:吉村拓治、編集:吉村拓治、テロップ:寺前伸治、ミキサー:大形省一、音響効果:有坂香、ディレクター:谷田友望、プロデューサー:岩本千尋、プロデューサー:雪竹弘一
概要
福井県坂井市にある小さなライブハウス「マロンパラダイス」での1年間を通して、地域の人たちの居場所づくりや人同士がつながりあうことの大切さを描く。陽気な常連客たちだが、決して順風満帆な人生を歩んできた人ばかりではない。番組内で登場した心の病を抱えた女子高生のほかにも、最愛の夫・妻や子どもを亡くした人、大病を抱えながら店に通い続ける男性。集う人の数だけある人生がここで交差し、新しい夢や生涯の友人に出会い、楽しみを見つけた人たちがたくさんいる。そんな田舎のライブハウスに集う人たち、そして音楽で拠り所をつくるかっこいいマスターを見て、いくつになっても楽しく生きることの素晴らしさを感じられる。若い世代から年配の人まで、音楽に乗っていきいきとステージに立つ姿に密着し、そこに集う人たちの人生を見つめた。

同じ年代の公開番組

ニュース企画 ヒロシマの記録 「原子野をフィルムに収めて」ほか(英語字幕版)

原爆投下直後に日本映画社のスタッフが撮影したフィルムが、ユネスコ「世界の記憶」にほかの写真などとともに登録申請されている。この記録映像を見つめ直す、情報番組「イマナマ!」のニュースシリーズ企画。◆「原子野をフィルムに収めて」(2024年5月23日放送)/日本映画社(日映)元ディレクター・相原秀二さん(故人)の証言をたどる。日映は日本の原爆調査団の補助機関として撮影を始めたが、占領により主導権は米国に移る。フィルムが米国側に没収されても取り戻せるよう「客観的・科学的に撮影すること」を徹底して撮影は続けられた。◆「校舎が『救護所に』…袋町小学校」(7月12日放送)/被爆直後の広島を訪れた日映のスタッフによって撮影された袋町救護病院の映像。実は袋町国民学校(現在の袋町小学校)の建物が臨時の救護所として使われていた。児童・職員はほぼ全滅したが、校舎は当時珍しかったコンクリート造りだったゆえ、かろうじて耐え、傷ついた人を受け入れた。建物には家族に消息を伝えたり、安否を尋ねる「伝言」も残されていた。卒業生3人が当時の記憶を語る。◆「語り始めた92歳の被爆者」(6月4日放送)/原爆投下から79年近くが経ち、初めて自らの体験を語り始めた才木幹夫さん(92歳)。当時は広島第一中学2年生で、その日は作業が休みだったため、自宅で被爆した。才木さんは一命をとりとめたが、建物疎開に駆り出された生徒ら353人は亡くなった。当時の記憶を封印し、仕事に邁進してきた才木さんだったが、ロシアのウクライナ侵攻を機に「証言者」になることを決意する。あの日の惨状と平和の大切さをどう伝えたらよいか、日々手探りを続けている。


cinematic_blurドキュメンタリーondemand_video報道・時事tvテレビ番組
2024.06 ニュース企画 ヒロシマの記録 「原子野をフィルムに収めて」ほか(英語字幕版)

原爆投下直後に日本映画社のスタッフが撮影したフィルムが、ユネスコ「世界の記憶」にほかの写真などとともに登録申請されている。この記録映像を見つめ直す、情報番組「イマナマ!」のニュースシリーズ企画。◆「原子野をフィルムに収めて」(2024年5月23日放送)/日本映画社(日映)元ディレクター・相原秀二さん(故人)の証言をたどる。日映は日本の原爆調査団の補助機関として撮影を始めたが、占領により主導権は米国に移る。フィルムが米国側に没収されても取り戻せるよう「客観的・科学的に撮影すること」を徹底して撮影は続けられた。◆「校舎が『救護所に』…袋町小学校」(7月12日放送)/被爆直後の広島を訪れた日映のスタッフによって撮影された袋町救護病院の映像。実は袋町国民学校(現在の袋町小学校)の建物が臨時の救護所として使われていた。児童・職員はほぼ全滅したが、校舎は当時珍しかったコンクリート造りだったゆえ、かろうじて耐え、傷ついた人を受け入れた。建物には家族に消息を伝えたり、安否を尋ねる「伝言」も残されていた。卒業生3人が当時の記憶を語る。◆「語り始めた92歳の被爆者」(6月4日放送)/原爆投下から79年近くが経ち、初めて自らの体験を語り始めた才木幹夫さん(92歳)。当時は広島第一中学2年生で、その日は作業が休みだったため、自宅で被爆した。才木さんは一命をとりとめたが、建物疎開に駆り出された生徒ら353人は亡くなった。当時の記憶を封印し、仕事に邁進してきた才木さんだったが、ロシアのウクライナ侵攻を機に「証言者」になることを決意する。あの日の惨状と平和の大切さをどう伝えたらよいか、日々手探りを続けている。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組

Copyright Broadcast Programming Center of Japan.