テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

徹子の部屋 緊急追悼 田村正和さん

番組ID
217457
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2021年05月19日(水)13:00~13:30
時間(分)
24
ジャンル
adaptive_audio_mic
トーク・ワイドショー
groups
芸能・バラエティー
放送局
テレビ朝日(EX)
製作者
テレビ朝日(EX)
制作社
テレビ朝日(EX)、テレビ朝日映像
出演者
スタッフ
ディレクター:田村真紀子、プロデューサー:田原敦子、プロデューサー:三ツ木仁美、ゼネラルプロデューサー:寺田伸也
概要
さまざまなジャンルで活躍するゲストを迎え、黒柳徹子が話を聞く長寿インタビュー番組。◆「眠狂四郎」や「警部補・古畑任三郎」など、数々の作品で活躍した田村正和さんが2021年4月に77歳でこの世を去った。過去の貴重な映像で、俳優・田村正和さんを偲ぶ。初登場となる1993年の放送回では黒柳徹子との衝撃的な初対面のエピソードや、父である阪東妻三郎への想いを語る。親子で海ではしゃいだり、野球をして遊んだりと、ホームムービーを見ながら過去を振り返る。2011年の放送回では幼少期を過ごした京都の思い出や謎に包まれた私生活について、2013年の放送回ではドラマの撮影現場での振る舞い方について語る。

同じ年代の公開番組

映像’21 いつか帰れる日まで ~異国で願うミャンマーの民主化~

今年2月に起きたミャンマー国軍のクーデター。これに抵抗するミャンマーの市民に対し、国軍は容赦なく銃を向け、多くの死傷者が出ている。この状況を日本で暮らすミャンマー人たちは心配している。一方、日本にいるミャンマー人の若者も新型コロナの影響を受け、収入がなくなり不法滞在になるなど、厳しい生活環境を強いられていた。こうした人たちを支援するミャンマー人の難民、アウン・ミャッ・ウィンさん(47歳)。大阪でミャンマー料理店や訪問介護施設を営んでいる。過去にミャンマーの民主化運動に参加し、国から逃れざるを得なかったウィンさんは、何とか日本に住むミャンマーの若者たちの力になりたいと奔走していた。ウィンさん自身、14歳から民主化運動に参加。1989年にアウン・サン・スー・チー氏が自宅軟禁されると、ウィンさんは活動家として狙われるようになり、1995年に逮捕された。その後、ブローカーを介して祖国を脱出。幸いにも2004年、日本で難民認定される。祖国の動向を憂いながらも、在日ミャンマー人たちの力になりたいと取り組むウィンさんと、祖国ミャンマーと日本の間で揺れ動く若者たち。そんななか、2021年6月にウィンさんは、サッカーミャンマー代表選手として日本のフィールドに立ち、国軍に抵抗を示す3本指のサインを掲げたアウン選手の亡命を手助けする。緊迫したやりとりなどを通して、異国でミャンマーの民主化と平和を願う人たちの「いま」を描く。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
BSフジ開局20周年企画 甦れ!東北の鉄路2021 検証 東日本大震災から10年

2020年3月、福島第一原発の事故で不通区間だったJR常磐線の富岡~浪江間の運転再開をもって、東日本大震災で被災した鉄路は復旧を果たしたとされている。しかし一方で、この10年の間に、JR大船渡線・気仙沼線など一部の路線はBRT(旧来の鉄道に敷設したバス高速輸送システム)に転換された。◆未曽有の大災害となった東日本大震災で、鉄路の被災・復旧に焦点を当て、2012年から毎年、「甦れ!東北の鉄路」としてシリーズで放送を続けてきた。震災から10年という節目を迎える今年、シリーズ完結編として、この10年の取材で積み重ねた映像・インタビューを振り返りながら、地域と全国をつなげるローカル線がいかに人々の暮らしと直結し、地方の経済を支えてきたかを検証する。◆さらに、鉄路が消えてBRTに転換された町の現状や、震災で甚大な被害を受けた三陸鉄道の当時の状況と今の姿も伝えていく。宮城県女川町出身の俳優・中村雅俊が、現地の人々と触れ合いながらナビゲーターとして東北の鉄路の変遷をたどる。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
newsプラス1特集 あなたへ ~東日本大震災から10年~

東日本大震災直後、被災地では携帯電話もつながらず安否を伝えることが難しかった。テレビ岩手は被災者の言葉を伝えたいと、どの放送局よりも早くビデオレターの放送を始めた。結果的に525組926人を取材し、番組で何度も伝えた。後で分かったことだが、ビデオレターで家族の安否を知ることができた人が多くいた。震災から10年、言葉を残した人たちを探した。当時、住所や連絡先は聞いておらず名前が分からない人もいた。被災地出身のディレクターは、知り合いを頼りにその人たちを探し始めた。ビデオレターを撮影した場所の周辺で聞き取り調査を行い、少しずつ情報を集め、20人程を見つけることができた。今は話すのがつらいという人や新型コロナを理由に取材を断られた人もいたが、10人を取材できた。ビデオレターの撮影は基本的には1テイク。内容について具体的なお願いはしなかった。「今、伝えたいことを話してください」それだけをお願いした。番組では、被災地の街の移り変わりを定点映像で伝えている。定点映像は、この番組のディレクターとカメラマンが2人で10年間撮影を続けてきた。撮影箇所は岩手県内約60か所を数える。番組では、変わり続ける被災地の景色と変わらない被災者の思いを伝える。SNSなどが普及し、すぐにつながる時代。誰かに言葉を伝えられることは当たり前なのか。伝えることの大切さを10年越しのビデオレターで問いかける。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組