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テレビ番組

ザ・ノンフィクション 放送1000回SP 後編

番組ID
217404
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放送日時
2021年04月18日(日)14:00~14:55
時間(分)
45
ジャンル
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ドキュメンタリー
放送局
フジテレビジョン(CX)
製作者
フジテレビジョン(CX)
制作社
フジテレビジョン(CX)、バンエイト
出演者
スタッフ
構成:石井成和、編集:高橋彰芳、音響効果:宮川亮、EED:渕真悟、MA:茂木遼介、デスク:伊藤ひろみ、広報:瀬川ネリ、歌:竹原ピストル、演出補:青木志穂、演出補:大塚祐希、演出補:加藤未来、ディレクター:竹本恭一朗、プロデューサー:吉川和仁、プロデューサー:西村朗、演出:京田宣良、チーフプロデューサー:西村陽次郎
概要
1995年10月15日にスタートした『ザ・ノンフィクション』が2021年4月18日の放送で1000回目を迎えるにあたり、2週にわたって「放送1000回SP」を放送する。26年にわたり時代を生きる人々のありのままの姿を届けてきたこの番組は、何を描いてきたのか。ナレーションは、最多となる34回担当してきた宮崎あおい。◆後編は2011年の東日本大震災以降の放送を振り返る。ある日突然大切な家や故郷、愛する人を失うという現実は、人々の価値観を大きく変えた。「人生にとって本当に大切なものは何なのか」日本中が悩み始めた時、番組が目を向けたのは「自分らしい生き方」を追い求める人々だった。超高学歴なのに「働かないで楽しく暮らす方法」を追求する人、生まれながらの性に違和感をおぼえ“本当の自分”を取り戻そうともがく人。その時代時代を生きる人々の「心」を描き続けてきた。そして、長寿番組だからこその長期間にわたる映像記録も大きな特徴である。17年にわたり、ダウン症の子供を持つ家族を記録した「ピュアにダンス」シリーズは、人間の成長と子供たちが持つ可能性を見つめ続けた。寺で共同生活をする熱血和尚と傷ついた子供たちを11年にわたり記録した「おじさん、ありがとう」は、国内外で数々の賞を受賞する感動作となった。
受賞歴
ギャラクシー賞(第59回奨励賞)

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