テレビ・ラジオで放送された番組・CM4万本以上を視聴できるほか、展示やイベントを通じて放送の今と昔を学べます。 入館無料

tv
テレビ番組

伝える’21 恥ずかしながら 残留日本兵 横井庄一と妻

番組ID
216938
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2021年08月16日(月)01:25~02:25
時間(分)
54
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
CBCテレビ
製作者
CBCテレビ
制作社
CBCテレビ
出演者
語り:山根基世
スタッフ
協力:小森幾代、撮影:小池尚弘、撮影:小川昌司、音声:三好佑介、編集:竹内雅文、タイトル:新田由岐子、MA:野田香純、ディレクター:竹田章悟、構成:大園康志、PD:大園康志
概要
残留日本兵の横井庄一さんは終戦を知らず、グアムのジャングルで28年間仲間の助けを待ち続けた。1972年のある日、食料を取ろうとしたところを発見され、仲間の遺骨とともに帰国した。帰国から2ヶ月後、横井さんは実家のある名古屋に帰郷し、名古屋は空前絶後の熱狂に包まれた。横井さんの存在は、薄れていた戦争の記憶を人々に呼び覚まし、「恥ずかしながら」というフレーズは流行語となり、その一挙手一投足は晩年まで注目されることとなった。帰国後の横井さんはジャングルでの生活との違いに戸惑いを隠せなかった。そんな伝説のサバイバーを、「グアムの戦い」最後の生き残りと言われる岩手県の男性と、横井さん発見時にグアムで面会した横浜の男性が振り返り、愛知県の女性は横井さんの人生を切り絵の絵本にした。また、帰国の年に結婚した妻・美保子さん(93歳)が横井さんの「戦後」を振り返るとともに、平和の尊さを訴える。

同じ年代の公開番組

被爆地にたつ孤児収容所 ~2千人の父、上栗頼登~(英語字幕版)

「生きるためには盗みを働くか、人を殺してお金を奪って食べて行くほかはないと僕は考えていた」。原爆に家族を奪われた一人の「原爆孤児」の言葉である。1948年に当時の厚生省が行った調査によると、全国で孤児は約12万人、その中で広島県は最多の5975人だった。原爆で焦土となった広島で、終戦からわずか2カ月後、26歳の上栗頼登という若者が、陸軍の退職金を使って孤児収容所「広島新生学園」を開設した。施設は原爆孤児や戦災孤児、引き揚げ孤児など戦争で身寄りをなくした多くの子供たちでいっぱいになった。誰もがその日を暮らすのに困っていた終戦直後。新生学園の環境は決して良いものとは言えず、苦難の連続だった。かつて焦土にあった新生学園の知られざるその歴史を辿るとともに、現在へとつながる平和への願い、そして多くの子供たちが戦争に翻弄されたことを、今へと伝える。(英語字幕版)◆英語タイトル“An Orphan Camp on Atomic Bombed Land ~Yorito Kamikuri, Father of 2,000~”


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
NNNドキュメント’21 陸と隼瀬とプレーボール ~伊香高校野球部 終わらない夏~

滋賀県にある県立伊香高校。公立高校ながら過去には甲子園に通算5回出場したこともある。マネージャーの山本陸さんは、先天性の脳性麻痺のため、歩くことができず両手を動かすのが精一杯。幼い頃から野球が大好きだった陸さんを野球部に誘ったのはピッチャーの隼瀬一樹さん。プロからも熱い視線を集めるエースだ。1年生の時、2人は野球の話ですぐに打ち解けた。「野球部に入りたいけど勇気がない」と話す陸さんに、隼瀬さんは「障害があるから野球部に入ったらいけないという理由はない」と伝え、陸さんは入部した。陸さんの役目はノックのボールを渡すこと。ボールを持つだけでも大変だが、リハビリや部員のサポートで立派に任務を果たすようになった。2020年夏、新型コロナウイルスの影響で甲子園の大会は中止に。県独自の大会に出場したが、隼瀬さんは体調を崩し、マウンドに立つことができなかった。エースなき大会での初戦敗退。陸さんは、隼瀬さんやチームの仲間に、一球一球、感謝の思いを込めて球を投げ込み、伝えた。「チームに誘ってくれてありがとう」。春から、新たな進路へ向かうチームメイトたち。エースの隼瀬さんは、大学に進学し野球を続けることを決めた。新型コロナによる逆境で育まれた高校球児の絆。白球がつないだ“友情”と、それぞれの門出を伝える。


directions_bikeスポーツcinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組
ドキュメントy 回天と100人の棺桶

人間魚雷「回天」の基地があった山口県周南市大津島では、毎年3月に小さな慰霊祭が開かれる。回天を搭載した「伊58潜水艦」の元乗組員有志たちが約20年前に始めた。当初は約20人の元乗組員が参加していたが、高齢化と共に年々参加者が減少し、6年前からは2人だけとなった。中村松弥さんと清積勲四郎さんだ。2人は潜水艦から回天特攻作戦の現場を見てきた。回天がどうやって出撃したか、搭乗員が最後にどんな言葉を遺したのか、回天の戦果はどうだったのか、回天の真実を知る数少ない生き証人だ。2018年の慰霊祭には、伊58潜水艦から出撃した回天搭乗員の遺族(弟)が訪れた。兄は回天で敵艦に命中し華々しく散っていったと聞かされていたが、中村さんの記憶とは違っていた。遺族は「戦後70年以上経って、こうしてはっきりと言ってもらえてありがたい」と話した。貴重な生き証人の2人にも老いは襲ってくる。慰霊祭への参加者が中村さんと清積さんだけになったとき、2人は「どちらかが亡くなったら、慰霊祭は終わりにしよう」と約束していた。残った1人に負担が掛かるため、お互いを気遣っての約束だった。そして2020年、ついに1人となった。2016年から取材を続けた中村さんと清積さんを通して、回天の実相に迫り、戦争体験者が背負い続けているものを考える。


cinematic_blurドキュメンタリーtvテレビ番組