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テレビ番組

WATCH ~真相に迫る~ 毒ガス島の記憶 ~ヒロシマ もう一つの戦後75年~

番組ID
216059
※放送ライブラリーの視聴ブースでは、番組IDを入力することで、簡単に番組を選べます。
放送日時
2020年09月21日(月)01:25~02:20
時間(分)
46
ジャンル
cinematic_blur
ドキュメンタリー
放送局
広島テレビ放送(HTV)
製作者
広島テレビ放送(HTV)
制作社
広島テレビ放送(HTV)
出演者
ナレーター:森拓磨
スタッフ
撮影:日野知行、撮影:井藤良治、撮影:孟磊、編集:日野知行、音声:松田武、デザイン:蓬田知展、リサーチ:崔善今、ディレクター:渡邊洋輔、ディレクター:古江正彦、プロデューサー:岡田純一郎
概要
広島県竹原市の忠海沖に浮かぶ大久野島は、約500羽のウサギで人気の観光地である。藤本安馬さん(94歳)は1941年、14歳で大久野島の陸軍養成所に入り、3年間毒ガスの製造にあたった。製造していたのは、「死の露」とも呼ばれた致死性の毒ガス「ルイサイト」である。大久野島で作られた毒ガスは小倉の施設で発煙筒や砲弾に詰められ、中国に配備された。日本軍は中国で毒ガスを使用したとされるが、関連資料は戦後、焼却されて残っていなかった。しかし、取材を進めるうちに元兵士が個人的に保管していたとみられる報告書と、元兵士の録音音声を発見した。報告書には、ゲリラ戦を展開していた中国軍の地下道に毒ガスを投げ入れた事実が記されていた。地下道に逃げ込んだ中国軍と住民たちが犠牲になった。毒ガスで家族を失った住民は、当時の様子を証言し、今も抱える悲しみを語った。一方で、毒ガスを使用した元兵士たちも戦後、自らの行為に罪悪感を抱き、葛藤していた。元工員の藤本安馬さんは戦後、中国での毒ガスの被害を知り、苦悩していた。毒ガスを造った人、使った人、使われた人。毒ガスは勝者を生み出すことなく、傷痕だけを遺した。

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